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1. 『幼少時代におけるキリスト教との接点』
多くの日本人がそうであるように私は無神論の家庭で生まれ育ちました。 幼少のころは神道のことすら知らないにもかかわらず、毎年正月には近くの神社をおまいりするという、昔ながらの日本の文化の中で育ちました。 しかし、それがどのような意味を持つのか、そしてそれがかつて日本を戦争へと導いた神道と関係があるということすら教えられることも無く、 単に文化の一つとして肌で馴染んでいたに過ぎません。 何故か人が他界すると手を合わせて拝むということも、 宗教的な背景について一切教えられることなく、 これも単に習慣として馴染んで来たに過ぎません。 このようになんとなく習慣としてごく普通に日本人が行っていることを習ったものの、 そこにはなんら宗教的な背景はありませんでした。 このような無宗教な背景が、 おそらく他の多くの日本人がそうであるように、 私もまた神とは無関係の無神論者として育った理由になっていると思います。
一方では必ずしもまったくキリスト教と無関係でもなかったかもしれません。 敢えて記憶をたどり寄せてキリスト教との接点を探るならば、 私の小学校時代の知り合いの父親が牧師をしていたように記憶していますので、 それぐらいかもしれません。 こんな形で「牧師」、「教会」には少し触れる機会はありましたが、 それ以上のものはありませんでした。 また、 それ以後も、成人して米国留学をするまではキリスト教徒の接点はまったくといっていいほどありませんでした。
2. 『米国留学時代におけるキリスト教との出会い』
1991年から1993年までの2年間米国ナッシュビルのVanderbilt大学に留学する機会を得ました。 娘が近所の教会に所属する preschoolに通っていました。 教会からの案内もあってクリスマスの時にその教会へ行きました。 印象に残っているのはハンドベルによる賛美でした。 礼拝堂の中を薄明かりにして、 とても神秘的な雰囲気の中でのハンドベル演奏でした。 初めてのアメリカ生活の中で体験した神秘的な教会の雰囲気というのはすごく新鮮でした。 それでも私は救いへとは導かれませんでした。
その後も私はキリスト教に何となく興味を持っていたのでしょう。神を信じるというよりはむしろ歴史的なキリスト教的な考え方を持つということにとても興味がありました。 ある書物の中で、現代の自然科学はキリスト教的な背景が無ければ生まれて来なかったかもしれないと示唆するものがあって、 とても興味を抱いたことを覚えています。 これは必ずしも、キリスト教哲学に基づいて現代科学が築かれたということを意味しているのではありません。 神の存在があったからこそ、 対立する概念の中で自然科学に対する理解が深められていった、 つまり現代科学の基礎を築くように主イエスが導いてくださったのではと理解しています。 それほどに主イエスの存在は偉大であったと思わざるを得ません。 エジプト文明、 メソポタミア文明、 インダス文明、そのほか中国においても文明は芽生えしたが、 実際に現代の自然科学の基礎はキリスト教社会・文化の中で活躍された哲学者、 自然科学者から生まれてきたといっても過言ではないと信じています。
私は大学では理学部の化学科を専攻しました。その後製薬会社の研究所に勤務し、一研究者としての人生を歩みました。 研究に関してはそれなりの自信を持っていました。 研究の世界ですから、 もちろん結果はやってみなければならない世界ですが、 どのように自身の仮説を実証していくかという科学的な考え方についてはかなりの自信を持っていました。 それは私自身が当時無神論を自負できた理由の一つになっていたかもしれません。
私は人生の中で三度自然科学の分野で成功を収めたと自負していました。 ひとつは大学院の時、ひとつは入社した後に研究に携わりそれによって留学前に学位を取得したとき、 三度目は留学期間でのことでした。 そういう自分は神をも知らず、 ただ自身の力を信じたおろかな科学者であったのでしょう。 今から考えると不思議なものですが、 特に三回目の成功を収めたのは、折も折りクリスマスの頃で、 家族とWashington DCでクリスマスの休暇をすごした直後に研究室で結果を見て成功していたことに気づいたという経緯がありました。 その時には思わずクリスマスプレゼントと関係者に知らせたように記憶しています。 もしその時に主を信じていたならば、 その後はもう少し平安な人生を歩み始めていたかもしれませんが、 実際にはその成功は自分の行った業績という考えを持つことしか出来ず、 結果的にそれが間違いであったと悔い改めています。
3. 『二度目の渡米生活』
何時しか基礎分野での研究者としての生活に終止符を打つことになり、 臨床試験のマネジャーとしての職務につき、 2003年から、 海外臨床試験マネジャーとしてニュージャージーに赴任することになりました。 臨床試験はかなり困難を伴うものですが、 依然として私は自分の能力を過信していました。 きっと成功するという自身を持って取り組んでいました。
ところが、臨床試験というのは本当に難しいもので、単に自然科学の力だけでは解決できない難しい問題を持つものなのです。
そんな中で、 突然の帰国命令を受けました。 これは本当に予想外の展開だったのです。 海外赴任している者にとっては決して驚くには足りないことなのかもしれませんが、 高校二年になる娘の学校のこと等を考えると、 3ヵ月後の帰国というのはやるせないものでした。 と同時に、 自身が本当に無力な存在であることをつくづく感じました。
そしてこれが神を求めるきっかけになりました。
* この後、 神林兄の「証」は 4. 「ハーベストタイムとニュージャージー日本語教会」 5. 「信じること、救いと受洗」 そして 6. 「帰国後のクリスチャンとしての歩み」 と来月号以降へ続きます。
月報2005年4月号より
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