この言葉が分かるようになってきた。雅歌がわたしたちと神様との関係を歌っていることを知っていたけれども、この言葉が本当に私達と神様との関係を示していることが分かってきた。わたしも、私自身も主に対して、このように歌いたいと思った。そして、主がわたしに対してもこのように見てくださっていることがすごくうれしいと思った。どうか、主よ、わたしに触れてください。あなたの口づけをわたしに与えてください。あなたの愛をもっともっと教えてください。
わたしもこれと同じように思う。祈る。そして、祈ってほしいと思う。「わたしが語るべきことを語ることができるように・・・。主よ、今週の一つ一つの集会を覚えてください。そこで語るべきことを教えてください。そして、語るべきことを語ることができるように助けてください。そして、集会だけではなく、人との出会いの中で、人との出会いの中で、語るべきことを語ることができますように・・・。
いつもはこの伝道の書は12章の結論に心が留まるのだが、今回は、この小さな言葉に捕らえられた。小さな愚痴でも、大きな影響がある。本当に恐ろしいことだと思う。本当に気をつけたいと思う。主よ、私の口に門守を置いてください。わたしの心をお守りください。本当に小さな小さな愚痴からも私をお守りください。あなたがくださった素晴らしいものをそのような愚かなもので無駄にしてしまうことがないように。主よ、わたしの心と私の口をお守りください。
先週の信徒勉強会でもフィニーの書いたものを読んだが、本当に上にあるもの、神様のことを、天国のことを、天のふるさとのことを思って、この地上のことには心ひかれずに歩んでいくことの大切さを思う。そのように信じているのだから、そのように歩みたい。そのように歩ませて頂きたい。もっともっと主との親しい関係に歩みたい。主がしてくださることを喜んで、主が与えてくださるものを喜んで、貪欲から解放されて歩んでいきたい。主よ、わたしの心と、行動をお守りください。
主がなされることを理解しきることはできない。できないことがおかしいことであるかのように思うこともある。それで主を責めるような思いになることもある。でも本当はそんな資格はないし、そんなこともできやしない。本当に私達は主のなさることを窮めることはできないのだ。そう思うと、ゆだねると、楽になる。本当に主の御手にゆだねていけば大丈夫だ、と思えるようになる。主よ、どうか私の歩みをこれからも導いてください。理解できないこと、分からないこと、主にゆだねて歩んでいけますように。
軽々しく口を開くな、とは自分に言われているように思う。大体このページ自体、神の前に、人の前に、軽々しく、言葉を継いでいるような思いになる。主よ、焦りから解放して下さい。ただ、ただ、あなたの前に、あなたの前に、真実であることができますように。待ち望むことができますように。時間が惜しくて、慌てて、あなたの前に言葉を継ぐようなことがありませんように。主よ、私の祈りを引き上げて下さい。私の祈りの生活をあなたとの交わりを十分楽しむようなものとしてください。
頭のいい人の議論には圧倒されることもある。魅力を感じることもある。でも、キリストのうちにこそ、キリストと共にこそ、本当の知恵があり、本当の力があり、本当の命がある。だから、胸を張っていいのだ、恐れることはないのだ。ただ、愚直に、真実に、神がどんなことを私の生涯の中にしてくださったのか、それを証ししていけばいい。ただ、真実に指し示していけばいい。感謝。主の励ましと、主のaffirmationに感謝。
つらいことが起こるたびに、どうしてだろうかと思う。悲しんでいる方がいるたびに、その痛みを分かりたいと思いながら、共にいることによって慰めになるならばと、そばにたたずみながら、本当に心の奥底までそれを分かることはできないのだろうかと、苦しむ。主よ、あなたが一番、人の痛みを分かって下さるかたです。あなたが、この世の苦しみを、痛みを、悲惨を、罪を負って下さいました。どうか、あなたの愛を少しでも、ほんの少しでも、わたしに与えて下さい。そして、悲しんでいる人と共に悲しむ者としてください。そして、一人一人が神ご自身から解決をいただいて、神ご自身から御言葉を語られて、立ち上がることができますように。
この祈りはすごいと思う。「危険から守ってください」「痛みを癒してください」という以上に、一人一人が神の栄光の力によって強くされて、苦しみや悩みや困難の中でも、それを耐えることができるように、それに打ち勝つことができるように、という祈りだ。私自身、このような祈りのできる者となりたい。主が働いてくださる、主が力を与えてくださる、それを信頼して歩む者としてくださいますように。それを祈りつつ、そのように牧会をする者とされたい。
御言葉の力。それの真実。それがある時には重荷になる時もある。従うことによって祝福があると分かっていても、なかなか素直に従うことのできない時がある。でも、本当に従うところに祝福があるのだ。それが真実なのだ、そこに信頼して歩んでいくことが私の盾となって、力となっていくのだ。そうだ、主に従っていこう。主よ、どうか御言葉に従う力をください。主に信頼して歩ませてください。更に御言葉によってわたしの心を導いてください。
与える者は、与えられる。それによって勘定が増えていく。与えることは決して損にはならない。主よ、わたしに与える喜びを教えてください。そして、喜んで与えることができますように、主がわたしの心をいつもあなたの愛で満たしてください。あなたの力で満たしてください。聖霊様、わたしの心に満ちあふれてください。そして、喜んで、心から喜んで与える者としてください。
言い表すのは恥ずかしい。信頼を失ってしまうのではないかという恐れも襲ってくる。けれども、告白して、それから離れる者には祝福があるという。本当にこの言葉を信じて、そのように歩む者となりたい。結局自分に必要なのは人々の自分に持っているイメージなのか、主の祝福なのか・・・。ただ、主の祝福を求めて、主の祝福をしたって歩んでいく者でありたい。主よ、私はあなたの祝福が欲しいです。あなたのあわれみが欲しいです。主よ、罪を犯した時には、それを言い表してそこから離れる者としてください。
私のうちに主がいてくださる、というだけではなく、主の中に自分を見いだす。それはどういう事だろうか?あの十字架の中に、私がいる。私自身もその十字架の中にいる。そして、自分はあのイエスの復活の中にいる。キリストの中に自分がいる、そのような事を知るものとされたいと思う。私自身のこれからの求めだ。主が私のうちいてくださる、というだけではなく、いや、それよりも、主の中に自分がいる・・・。主よ、教えてください。そのことを経験として教えてください。主よ、求めます。
主が「養いなさい」と託してくださった教会の方々、その教会の方々の霊的な状態について、自分はどれだけ知っているだろうか?奉仕する姿、集会への出席、欠席、そういうことは良く知っている。でも、本当にそのお一人一人の霊的な状態について、どれほど知っているだろうか?無関心であってはならないと思う。毎日毎日集会をこなしていって、いろんな準備をして、事務的な仕事もして・・・それで使命を果たしたつもりになってはいけないと思う。主よ、わたしがあなたが託してくださった方々の霊的な状態を知っていくことができますように。そして、祈っていくことができますように。主よ、お助けください。
主にあって願いを起こさせられた、そのような経験が自分の中にあるだろうか?これは神様の与えてくださった願いなんだと、熱い思いになったことがあるだろうか、と思わされた。もっともっと主からの願いを与えられたいと思う。主からの願いに満たされたいと思う。主がわたしを満たし、主がわたしの内側から願いを与えてくださって、それを実現に至らせてくださる、というそういう御業を見させて頂きたいと思う。主よ、お助けください。主よ、わたしの中にあなたの願いを起こさせてください。そこまであなたに近くおらせてください。
伝道させてください。伝道させてください。滅びに行こうとする人々に対して、大胆に語る者としてください。あのヨナが、ニネベの人々に対して大胆に語ったように、わたしにも伝道させてください。言葉を与えてください。恐れから解放してください。主が、わたしに先立っていってくださって、本当の意味で、心に触れるような伝道ができますように。人々の心が造りかえられるような伝道ができますように。形だけの悔い改めや、形だけの「決心」に導くのではなく、本当に魂が触れるような伝道の働きをさせてください。人々の救いのために用いてください。
イエスのために苦しむことも与えられている・・・。複雑な思いにされる。苦しむことも恐れてはならないことをもう一度教えられる。誤解されたり、誤解ではなくて、攻撃されることもあるだろう。それをも恐れてはならないと思う。攻撃や批判を恐れて、大切なものを見失ってしまうことがないようにと思わされる。主がわたしを用いてくださいますように。主のために苦しむことも恐れないで歩んでいけますように。判断に迷うようなことがある時にも、苦しみや、人々の攻撃を理由にして、判断することがありませんように。
今、わたしたちは戦いのために備えている。三浦先生の集会のために、チラシをつくり、テレビCMを用意し、各メディアへの掲載をお願いしている。また教会の関係者にPRをしている。馬を備えている。しかし、勝利は主によるのだ。勝利は主が与えてくださるものなのだ。わたしたちは実は弱い。実はそのような力がない。けれども、この事についても主が勝利を与えてくださるのだ。与えてくださるようにと祈る。勝利は主から来るのだ。ただ、人が集まるとか、人々が「良かった」と言ってくださる、と言うレベルではなく、主の勝利を与えてくださるのだ。主の与えてくださる勝利を待ち望み、励んでいこう。
主にゆだねる。主が最高のことをして下さると信じる。主が導き助けて下さると信じる。それはなんという平安、何という喜びだろうか?いろいろ困難か襲ってくる、いろんな人の言葉が聞こえてくる。でも、その中で、主が支え、主が守り、最善をして下さることを信じて歩んでいけることは何という幸いだろうかと思う。主よ、ゆだねます。主が最高のことをして下さいますように。
御言葉だ。わたしたちの勝利は御言葉による勝利だ。御言葉によって闘っていくのだ。だから、いつもいつも御言葉が必要だ。剣なしにわたしたちは闘いに出られるだろうか。主よ、御言葉を与えて下さい。日々に勝利を頂けるように日々に御言葉を与えて下さい。日々に御言葉を与えられて、闘いに勝利を頂いて日々歩むことができますように。主よ、お助けください。主よ、導いて下さい。