| 「クリスマス・プレゼント」 |
| 千年代最後の年、1999年もあっという間に月日が過ぎて行き、気がつけばサンクスギビングも終わり、街はもうクリスマス気分一色です。日本でもすっかりクリスマスにプレゼントをする習慣が定着しましたが、親が子供たちに、とか、恋人たちがお互いに…程度にとどまっているようです。アメリカでは、子供も親にプレゼントをしたり、おじいちゃんおばあちゃんの分まで考えたり、みんながお互いにプレゼントを考える時になっています。思い出してみれば、自分自身、大人になるまでは、「今年は何をもらえるだろうか?」と「もらうこと」ばかり考えてきたように思います。今でも時々「誰かに何かしてもらう」ことを期待している自分にハッと気づかされ、まだまだ幼いなあと反省させられます。関係が親しければ親しいほど、これが「甘え」となって出るようで、「俺はこんなに一生懸命やっているのに…おまえは何もしてくれない」「私の方が大変なのよ」などということになってしまうんですね。我が家などは…。ハイ。「何かしてもらう」ことはもちろんとてもうれしいことですが、「何かさせていただく」ことはもっとうれしいことかもしれません。アメリカの人々はそれを楽しんでいるように見えます。 |
| 先日、教会のケネス原さんを天に送りました。原さんは1年半の闘病生活を終えて、天に帰られたのですが、私が初めてお会いしたのがその10日ほど前でした。クリスチャンである御夫人の連絡で病室にお伺いした時、突然の訪問にもかかわらず、暖かく迎えて下さり、手を差し伸べると、しっかりと力強く握ってこられました。その3日後、もうあまり余命がないと宣告された原さんを訪問した時、つたない英語でしたが、思い切って、天国の話、いつも共におられる神様の話、そして、イエス・キリストの十字架の話をさせていただきました。そして、「信じますか?」との問いに、はっきりと「はい」と答えられ、その日のうちに洗礼を受けられました。印象に残っているのは最後にお話ができた日、天に召される5日前ですが、食事時に訪問した私に、食べておられたお寿司を勧められ、御自分はあまり食べられないのに、「もっとどうだ?」と苦しい息の中で聞いて下さったことです。私のような者の目から見たら、今一番助けや愛を必要としているその方が、苦しい時には「そっとしておいてくれ」、淋しい時には「こっちへ来てくれ」とわがままを言って当然の状況の中にいるその方が、苦しい中で訪問者を迎え、心を配って下さっていたのです。キリストは「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒行伝20章35節)と言われましたが、原さんはその「幸い」をも経験されたのだなあ、と感じました。 |
| クリスマスは神様御自身が、ひとり子であるイエス・キリストをお与えになったことを記念する日です。 |
| 私たちが大切な人にプレゼントをする時には、時間も労力も、お金もかけてその人にぴったりのプレゼントをします。そこには愛がこもっています。神様が私たちにプレゼントとして下さったのは、他でもない、一番大切な「ひとり子」イエス・キリストでした。それほど神は私たちを愛しておられるのです。そして、そのイエスはまさに「受けるよりは与える方が幸いである」との言葉のとおりに生きて、全てを与え尽くされました。そして、神は今もその「プレゼント」イエス・キリストを「ありがとうございます」と喜んで受け取って、今度は自分が「受けるよりは与える方が幸いである」という人生に歩んで欲しいと願っておられるのです。 |
| 今年のクリスマス、一歩踏み出して、ほんの少しだけでも、「受けるよりは与える方が幸いである」という世界をのぞいてみませんか? |
月報1999年12月号“牧師室から”>
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