「何でクリスマスにはプレゼントをもらえるんだろうなあ?」
「それはイエス様の誕生日だからでしょ。」
「でもさあ、イエス様の誕生日だったらイエス様にプレゼントをあげればいいじゃん。どうしてイエス様じゃなくて、他の人にあげるんだろう?どうして幸がプレゼントもらえるわけ?」
そんな会話を娘と交わしながら、自分の子供の頃の初めてのクリスマスプレゼントを思い出していました。
生まれてみたらそこが教会の牧師の家だったという私にとっては、クリスマスのプレゼントは教会学校でもらう「皆勤賞」(家が教会なんで全然自慢できないのですが・・・)の賞品でした。 ところがある年、小学校3 年生くらいの時だったでしょうか、25 日だったか26 日だったか、両親がデパートに連れて行ってくれて、兄弟一人一人にプレゼントを買ってくれました。確か、最初は、その頃出始めた「シャープペンシル」だったと思うのですが(ちなみに次の年は「最高気温と最低気温がわかる温度計」をねだりました)、それがとてもうれしかったのを覚えています。
「クリスマスにはプレゼントを『もらえる』のが当然」と思っている我が子らの姿に一抹の不安を覚え、もっと「贈る」ことの喜びを知ってもらわなければ・・・と思いました。しかし、どうしてクリスマスにはプレゼントを贈り合うのでしょうか?百科事典その他を調べてみたところ、「年末に一年お世話になって・・・というのから」「セント・ニコラウス(サンタクロースのモデル)が貧しい女の子にコインを贈ったのが始まりで、もともと、セント・ニコラウスの日が12 月6 日だったのが、アメリカではクリスマスと一つになった」とか、諸説あるようです。横道にそれますが、「今のサンタクロースの『白いひげに赤い服』というのはコカ・コーラの宣伝から・・・」とも。
歴史的な由来はどうであれ、クリスマスのプレゼントを聖書の中の話にたずねてみるならば、最初に出会うのは東の国の博士たちのイエスに対するプレゼントでしょう。
「見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼子のいる所まで行き、 その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬などの贈り物をささげた。」
マタイによる福音書2 章9−12 節
世界で最初のクリスマスプレゼントは、東の国の博士たちがイエスに贈ったプレゼントでした。そして、「神を愛すること、イエスを愛することは、『人』を愛することである」という聖書の原則を思うときに、私達にとって大切なのはやはり「贈る喜び」です。それも報いを期待しないで、ただただ相手の喜びを願って与える喜び・・・。
それは、神さまがまず私達にプレゼントをしてくださった、「神の子イエス・キリスト」というプレゼントをしてくださったからです。私達がまず神さまからプレゼントをもらっているからです。
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。」
ヨハネによる福音書3 章16 節
このイエスの誕生を祝うクリスマス。皆さんにとってすばらしい時となりますように。
(かきごおり:錦織 学)
月報2002年12月号より