この言葉は今から2000年近く前、人々が、生まれたばかりの教会に集う人々を非難して呼んだ名前です。伝統的な宗教に縛られていた人々が、教会の生き生きとした人々のことを、このように呼んで、悪く言ったのです。
振り返って私たちの教会のことを見るならば、余りその様なことは言われないなあと思います。もちろん、ことさら社会的な問題を起こして、悪い評判を得ることは必要ないでしょうし、その様な新興宗教とは一線を画すべきだと思います。でも、先日、新約聖書の「使徒行伝」を読んでいる中で、この言葉に出会って、誤解による悪い評判だろうが、反対によい評判だろうが、私たちの教会は社会に何らかのインパクトを与えているだろうか、何かを言われる存在になっているだろうかと思わされたのです。特にこのニューヨーク/ニュージャージーの日本人社会、日本語を使う方々の社会の中で、何らかの影響力を持っているだろうかと・・・。
「あなたがたは、地の塩である」(マタイによる福音書5章13節)
イエスが弟子たちに向かって言われた言葉です。塩は周りに溶け込んで味を与えます。塩が塩の働きをしていないとするならば、それは2つの可能性があります。
一つは、塩が周りに溶け込んでいないこと。孤立して、自己満足で終わってしまっているからです。
そして、塩がその塩気を失ってしまっていること。周りに同化して、妥協して、特徴を失っているからです。
さて、私たちに欠けているものがあるとすると、それは何でしょうか?これからの教会の歩みの中で、その両方を徹底的に求めていきたいと思います。社会に出て行くこと、教会の1人1人が、そして教会全体として、社会に出て行くこと、そして、徹底的に神の言葉に生きていくこと、神の愛に満たされて、喜びにあふれて歩んでいくことだと思います。聖書のメッセージは人の人生を全く造りかえてしまう、革命的なメッセージです。人生に失望した人に希望を与え、自分の存在価値を見失っている人々に生きる意味を与え、人を内側から造りかえてしまう力です。このことを徹底的に経験して、そして、そこからあふれる力が周りの人々にも影響を与えていく、その様な「世界中を騒がせる者たち」にならせて頂きましょう!
(錦織 学)
月報2006年11月号より
バックナンバー