先日、あるお医者さんの開いているブログ(インターネット上の日記のようなもの)の中の一つの言葉に心が留りました。お医者さんと患者さんとの視線の違いから来る問題について語っておられる中で、よく後輩の若いお医者さんに話すこの言葉を紹介しておられました。
「僕らにとっては1/100でも、患者さんにとっては1/1だよ」
一つの痛い経験を思い出しました。今から20年ほど前、私が聖書学院(牧師になるための訓練の学校)に入ったばかりの時、最初に派遣されたのが、東京の山の手にある大通りに面した大きな会堂を持つ小さな教会でした。下町の路地に面した小さな会堂を持つ教会に育った私にとっては、ほんとうにうらやましいくらいの立地条件でしたが、行ってみてびっくり。子どもたちの教会学校には二人の男の子がちょこんと座っているだけでした。そして、そこに訓練のために派遣されたわたしに与えられた仕事は、「教会学校を活性化させること」。自信はありませんでした。でも、神様に祈って、いろいろ工夫して、1年が終わる頃には20人くらいの子どもたちの歓声が上がるような教会学校になっていました。神様に感謝しながらも、ちょっとだけ得意になっていた私は、元々来ていた2人の男の子たちに聞きました。「どう、今、たくさん友達が来て楽しい?」もちろん、「うん!」という元気な答えを期待して・・・。
でも、その子達の答えは、「前の方がよかった。先生たちといろいろ話せたもん」でした。その時、私は「子どもたち」ではなく、「子どもたちの数」を見てきた自分の愚かさに気がついたのでした。
イエスは言われました。
「あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。」(マタイ18:12)
「数」を見てしまう時に、私たちには見えなくなるものがあります。一人一人の抱えている問題、心の祈り、魂の叫び、心からの感謝。一人一人の顔が見えなくなります。一人一人を大切にする働きをさせて頂きたい、そのように思わされています。
(かきごおり:錦織 学)
月報2005年11月号より
バックナンバー