最近、結婚を考えておられるお二人と結婚について学びをした時の一コマ。
お二人に、質問をしました。「あなたは結婚によって何を得ることができると思いますか?」「あなたは結婚によって何を与えることができると思いますか?」と。その答えをお二人がそれぞれ考えておられる間に、私自身も自分の胸に聞いてみました。
「おまえは結婚によって何を得ることができたか?」・・・「うんうん、こちらは簡単。1.受け入れられること。2.同じ方向を向いて、同じ使命に立って歩む人が与えられること。3.安心感・・・」どんどん出てきます。
「では、おまえは結婚によって何を妻に与えてきたか?」・・・「うーんと、えーっと。やっべー、なんにも思いつかない・・・。ん、『経済的安定』って、のがふつうの男性だろうけれども、留学しているときには逆に家内の方がアルバイトして支えてくれたよなあ。だからこれは当てはまらないし、受け入れているより、わがままばっかり言って困らせてるし・・・。家内が英語で困っているときも『自分の勉強になるぞ、自分でトライしてみろ・・・』と、ライオンは子供を谷底に落として、自分で這い上がらせて鍛えるんだ、と言わんばかりに振る舞ってきたし・・・。やっぱり『同じ使命に立って歩む同志となること』って感じかな。でも、それってこっちがそう思っているだけだったりして・・・」
なんて考えているうちに、時間切れ。お二人の答えを聞きながら(決して上の空ではありませんでした・・・念のため・・・)、自分では「妻を愛している」「お互いを理解している」と思いこみながら、本当のところ、自分が愛され、受け入れられることを求め、自分の使命感のために妻を利用しているだけではないか、自分は妻に何を与えてきただろうか、本当に妻の思いをわかろうとしてきただろうか、そんなことが頭の中を巡っていました。彼氏に対して「彼女の思いに耳を傾けてください。女性は男性の100倍感性が鋭いですから・・・」とわかったようなアドバイスをしながら、自分は本当にそのような思いで妻に接してきただろうか、と問われたような気がしました。
「愛することは愛されることの120パーセントのパワーが与えられる」と、ある本に書いてありましたが、そんな、言うほど簡単なことではないなあ、と思わされています。愛されることの方がずっと必要だし、「がんばって愛そう」なんて疲れちゃうし・・・。「あっちがもっとこうしてくれたら、私だってもっとできると思うけど・・・」って相手に要求する方が多いし・・・。だから、聖書は愛の源はわたしたちお互いの気持ちを超えたところにある、と語っているのです。
「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。」(ヨハネ第1の手紙3章16節)
その日の夜、妻の心の声を聞く時が与えられました。自分たちにとってこのような時がどれほど必要だっただろうかと思いながら・・・。
(かきごおり:錦織 学)
月報2004年11月号より