「初めまして、錦織学です。「小錦」の「錦」に、「織物」の「織」で、ニシコオリです。8 月の終わりにドゥルー大学に入りました。かみさん一人と、二人の子供がいます。2 番目は8 月に生まれたばかりです。10 月に家族が日本から来る予定です。よろしくお願いします。」初めて私がこの教会に来た時に、こんなあいさつをしたように覚えています。私にとって、ニュージャージー日本語キリスト教会(JCCNJ )は初めてでした。いや、最初は誰でも初めてなんですが、私の場合はちょっと違った意味で・・・。
生まれたところが教会で、4 歳で牧師だった父が大阪の教会から東京の教会に転任になって、引っ越してから大学生までずっとその教会で育って、大学を卒業してすぐに聖書学院に入って、訓練のために派遣される教会では「修養生」という肩書きをもらって、卒業したら、「副牧師」という立場で、いつも、「牧師の息子」とか「修養生」とか「副牧師」とか、そういう、毎週日曜日、朝は教会でみんなのことを迎え、夕方は最後まで教会に残っていなきゃならないような立場をもらって、教会に行っていました。でも、JCCNJ には、人生で初めて、そういう立場全くなしに、誰も知らないところに一人で飛び込んだのです。正直なところ、期待よりも不安の方が大きかったように思います。
今までいつも教会に最後までいて、みんなを見送る立場でしたから、礼拝の後、「先に帰る」事になれていませんでした。ですから、「そろそろ帰ろうかなあ」と思っても「いつの間にかいなくなっているのもおかしいし、でも、わざわざみんなが話しているところに行って、大きな声で『じゃ、また』って言うのも何か変かなあ、うーんどうしよう・・・」とタイミングに困ったりもしました。でも、みなさん、歓迎してくださいました。いろいろ声をかけてくださいました。そして、いつの間にか8 年が経ちました。
来年の1 月でJCCNJ は教会創立15 周年を迎えます。伺ったところによると、15 年前、「ニュージャージーで」「日本語で」「聖書のメッセージがストレートに語られる」教会を求めていた一握りの方々の祈りからこの教会はスタートしたそうです。私自身がこの教会に集うようになったのは今から8 年前ですから、その歴史の半分を共に歩ませていただいたことになります。自分自身がJCCNJ と共に歩んだ8 年の歩みの中で思い出す事は何かなあ、と思って考えていたら、先ず頭に浮かんだのは、何かがんばって一つの事をした、とか、その後牧師となって何かをした、ということではなく、不思議にもその「自分が不安を覚えながら初めてこの教会に来て、そして受け入れられた」という経験だったのです。
イエスは当時の社会の中で立場の弱い人や「罪人」と呼ばれていた人を特に覚えて受け入れられ、共に歩まれました。そして、罪人の私の罪をあの十字架の上で背負ってくださいました。それを通して、神は私の事を受け入れていくださいました。私は、「キリストのからだ」である教会に受け入れられる事を通して、その「神に受け入れられる」ということをまた一つ深い意味で経験する事ができたのです。
今年の感謝祭礼拝・愛餐会は単に今年の神さまの守りを感謝するだけではなく、15 年の教会の歩みを守り導いてくださった事を感謝する一時としたいと思います。11 月24 日です。初めての方も、久しぶり・・・という方も大歓迎です。是非、おいでください。これからの教会の歴史を共に歩む方々が更に起こされることを祈りつつ。
「父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす。」
ヨハネ福音書20 章21 節
(かきごおり:錦織 学)
月報2002年11月号より