9月11日から28日までの日本訪問のちょうど真ん中あたり、折り返し地点まで来ました。6年ほど前から、日本に帰国された方々の励ましになれば…と、一年に一度日本を訪問しています。
今まで3カ所での家庭集会、1つの教会での礼拝説教、1つの教会での祈り会での説教がありました。それぞれ幸いな時でしたが、その他にいろんな方々と個人的にお会いしてお話しするチャンスがあります。家庭集会の時には時間が合わないという方、ご希望があれば、時間が空いた時に約束をしてお会いしています。もう、日本の皆さんがこのニュースレターを手にされる時には私はニュージャージーに帰っているかもしれません。行き違いになって、「知らなかった…」という方、申し訳ありません。また次のチャンスに、御連絡しますので、今のうちに「私は知らなかったよ!」とお知らせ下さい。
今日も3組の方々とお会いしました。その中で感じたのは、「自分は、日本に帰られた方々の励ましになるように…という思いでこのように訪問しているけれども、本当に励まされているのは自分の方なのではないだろうか」ということでした。
「牧師」の肩書きをもらって、「出張」という、何だか仰々しい名目で日本に来ていると、「その間に牧師らしいこと何かしなきゃ」って気持ちが働きます。「教会から送られてきているんだから、何か成果を上げなければ…」みたいな思いになります。そして「励まそう」「教会に行けないでいる人がいたら、教会に行けるようにきっかけを作ろう」なんて思ったりします。間違ってはいないのでしょうが、その気持ちが強ければ強いほど、人と人の心のふれあいがなくなってしまって、お話をしているうちに「ふれあい」とは無縁の「お説教」モードになってしまうんだなあと思います。
でも、今日いろんな方とお話ししている中で、そんな気負いがいつの間にか消えて、時を楽しんでいる自分がいました。神さまを中心としたひとときがこんなに楽しいものかと思いました。私の方が心が洗われ、励まされて、これからの生きるヒントが与えられるようなひとときでした。
日本訪問の時だけではなくて、日常の歩みの中でも、時々やたら肩に力の入った自分に気づくことがあります。「牧師だから与えよう」「クリスチャンだから与えよう」と思っている自分がいます。でも、そんな歩み、疲れてしまいますよね。お互いに。
ただ、共に歩めばいい、と思います。共にキリストを見上げながら歩めばいいと思います。語り合いながら歩めばいいと思います。そこにイエスさまが共に歩んで下さるのですから。
「語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。」
(ルカ24:15)
(錦織 学)
月報2006年10月号より
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