『誰と共に生きるか 』





 この原稿を書いている9月21日、 ニュースではハリケーン・カトリーナによる死者が1000人を超えたという報道がされています。 あのハリケーンがルイジアナを襲ったのは確か8月の終わり。 ちょうど3週間前。 そして、 今度はハリケーン・リタ。とにかく今度は、 お金持ちも貧しい人も、 若い人もお年寄りも、白人も黒人もみんな助け合って逃げてほしいと思います。 今度も猛烈なハリケーン。 中心気圧898mb(今日本では「ヘクトパスカル」のようですが、 アメリカは今でも「ミリバール」)、 中心付近の最大風速は、165mph(秒速73メートル・・・どうしてこうも日本とアメリカで単位が違うのでしょうか???)。 避難が秩序正しく、そして安易に「そのすさまじさを経験したい」と残る人がいないようにと祈らされます。

今回、 カトリーナの被害が甚大だとわかった時、 やはり何ができるかと思わされました。 私の住んでいるParamusの町からは、 録音の声で「皆さん、ニューオーリンズに行くのは止めてください。何かをしたい人は赤十字にお金を送ってください」と電話がかかってきました。 でも、 こんな時、 いつも思わされます。 「もちろん、私のような人間が現地に行ったところで足手まといになるのは目に見えている。 でも、 ただお金を送るだけで、 それでいいのか、 いくらかのお金を送って、 自分たちは安穏とした生活をしていていいのだろうか」と。

そんなに簡単に答えは出ないかもしれません。 でも、 考えるヒントにはなるかな、 と思うことがあったので、 ご紹介します。

そんなことを考えながら、 一冊の本を手に取りました。 昨年末に出た、 市橋さらさんの「赤道の国で見つけたもの」という本です。 ご夫妻で、 ケニアで教会の働き、 教育の働き、 援助の働きをされている方の本です。 いやあ、 もうあっという間に読んでしまいました。 そこでケニアの人々と共に生きながら、学んだこと、 感じたことが読みやすく書かれています。 で、 やっぱり本だけではなく、 もっと知りたいなあ、 会ってみたいなあ、 と思いました。 実は、 まだお会いしたことがないのですが、 今年の夏、 ご主人の隆雄先生とは「ニアミス」だったんです。 夏に日本に行った時に、 あるご婦人をご訪問しました。 春にお嬢さんを訪ねてニュージャージーに来られたのですが、 東京に戻られてから近所の教会に行き始めた、 とお伺いしていたので、 是非、 おじゃまして、ま た教会の様子もお伺いしたいと思ったのです。 お伺いしてみてびっくり、 翌日の日曜日の礼拝にケニアの市橋隆雄先生が来られると言うではありませんか。あいにく日曜日は他の教会で礼拝の説教を依頼されていたので、私自身は都合はつかなかったのですが、 そのご婦人に、「どんな話だったか、教えてくださいね」とお願いしておいたのです。 ニュージャージーに戻ってまもなく、 そのご婦人からお便りをいただきました。 早口の先生の言葉を全部は書ききれなかったけれども・・・といいながら、 3枚にも渡って、 くわしく、 どんなお話だったか、 書いてくださっていました。 その中の一節に、このような言葉がありました。

「何をやるかではなくて、誰と生きるか、誰のために生きるか」を考えなさい。

これは先生ご自身がクリスチャンとしてどう生きるかを考えていた時に、 他の牧師から聞いた言葉だそうです。

この言葉を今回読み返して、 やはり自分はこの地域で日本語を使う人々、 この地域で、 日本から来て不安を覚えている人、つらいことがあって道を見失いそうな人、 この地域に住む日本語を使うお年寄り、 そして、 もっと愛されなければいけない子供達、 その人々と共に生きる使命を与えられていることを思わされました。 ケニアと違って、 経済的には安定している人々が多いでしょう。 スラム街に住む人々ほど生活スタイルに問題はないかもしれない、 ハリケーンの被害にあった人々のように衣食住に困ってはいないかもしれない、 でも、 心のケア、 いやもっと深いところにあるたましいのケアの必要なことにはかわりがない、 私はここに使命を与えられている、 と思いました。

「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、 あなたを知り、 あなたがまだ生れないさきに、 あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」(エレミヤ1:5)

神様は、 一人一人に特別な使命を与えてくださっています。お一人一人がその使命に生きることができますように。

(かきごおり:錦織 学)

月報2005年10月号より