「立ち上がるために・・・」
 忌まわしい、恐ろしい、悲しい、terrible, horrible・・・いくつ言葉を並べたところで、今回のテロ事件を形容することのできる言葉が見当たりません。言葉にしてしまうとすべてが嘘になってしまうようで、軽くなってしまうようで、正直なところ、この原稿を書くのにも恐れを感じます。
 「どこのどいつがこんなひどい事をするんだ!」「たくさんの人たちが巻き込まれているじゃないか・・・!」「ちょっと待て、今崩れないでくれ!」崩壊するビルの映像をテレビの小さな画面で見ながら心が怒りに燃えました。ここまでのことをする人間の怒りと恨みののパワーに対して、罪の恐ろしさに対して、心が震えました。そして、現実に翌日になっても行方がわからない方々が周りにも出てくる中で、それが大きな痛みに変わっていきました。あれから2週間がたちました。私のように直接の被害に遭わなかった者でさえ、痛みの中にあります。ご家族や友人を失われた方々、そして、現場に居合わせた方々、命からがら逃げられた方々、様々な形で痛みを負われた方々に神さまの慰めがございますように、心よりお祈りいたします。
 その中で、人々の救助活動への動きの速さ、行動力には驚かされました。テレビで「飲料水が必要」と流れたその日の夕方には「もう水がこんなにたくさん集まって、置き場所がありません。もう持ってこないでください」と放送しなければいけない有様。事件当日の午後2時ごろ、「Paramusの血液センターで献血を呼びかけています」とテレビで言っていました。近くだったので2時間後に出かけると、もうそこは車の列。名前と血液型、連絡先を聞かれ、車から降りることもなく帰されました。私たちが「自分たちには今何ができるか」と考えている間にどんどん人々は動いていたのです。人々は支え合い、祈り合っていました。自分たちは何をしていただろうか?と問われます。この国の人々から私たちが学ぶべきこと、まだまだたくさんあるんだと言うことを再認識させられました。
 その後、日本からも、香港からも、シンガポールからも、ジャカルタからも、その他世界各地から「祈っていますよ」との励ましをいただき、支えられてここまで来たように思います。「ぼくらは孤独じゃないんだ」と元気付けられました。感謝いたします。「支えられている」「孤独ではない」ということには本当に勇気を与えられます。そして、人々だけではない、人間同士お互いに痛みを共有するには限界がありますが、その限界を越えて、神も共にいてくださるのです。
 それがイエスです。神であられたお方が人となってくださったのです。人間の罪ゆえに、不条理に満ちてしまったこの世界に生きる私たちに希望を与え、救いを与えるために、自ら不条理に満ちた世界に飛び込んでこられ、私たちの罪を背負い、十字架にかかられました。だから、神は私たちの痛みを知っておられる方です。天から見下ろして、「愚かな人間どもよ、また争っている。何という愚かな人間の性よ」と嘆いているお方ではありません。今も私たちと共にいて、痛みを共に負ってくださるのです。そして、それだけではなく、私たちに立ち上がる力をも与えてくださるお方なのです。
 「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない。」
(マタイによる福音書 14章27節)
 「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。」
(詩篇 37篇1節)
 「堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」
(コリント人への第1の手紙 15章58節)
 今「報復」が声高に叫ばれています。神が、政治家たちをも助け、正しい判断をする力を与えてくださいますように。「怒り」で「怒り」に報いることがありませんように。テロリストたちが他にたくらんでいることがあるなら、それが止められますように。皆さんの心に平安がありますように。
月報2001年10月号より