| 「神の不思議」 |
| 今や私たちにとって夏の終わりの風物詩にもなったJoyJoy Camp。体当たりのデイキャンプなので、スタッフにとっては体力との戦いがきついのですが、子供たちの「楽しかった!」「また来年来るからね!」という声を聞くとそんなのは吹っ飛んでしまいます。今年のテーマは「ふしぎ・チャレンジ!」。四十数名の子供たちと共にいろいろなふしぎを探検しました。そして、子供たちにとって「ふしぎ」に見える現象が、科学によって説明できることを発見したり、聖書が語るいろいろなふしぎな出来事が神様の愛に基づいていることを学んだりしました(もちろん、何の不思議もない遊びや工作やスポーツもたくさんやりました。ご安心下さい)。キャンプを無事に終えてほっと一息つく中で、聖書に出てくる不思議の中で何が一番不思議なのかなあ、と考えてみました。 |
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、その名は
『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」
(旧約聖書・イザヤ書九章六節・新改訳)
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| これはイエスの誕生より七百年以上も前に預言者イザヤによって預言されたイエスについての言葉です。「不思議な助言者、力ある神…」。この言葉を思い巡らしているうちに、神が私たちひとりひとりの助言者になって下さること自体がどれほど大きな不思議だろうかと感じました。 |
| たくさんのイエスの奇跡、五つのパンと二匹の魚で五千人の人を満腹にさせたこと、病気の人を癒したこと、湖の上を歩いたこと、十字架にかけられた後三日目によみがえられたこと、すべて不思議です。目の前でそんなことが起こったらやはり目の玉が飛び出てしまうでしょう。けれどもこの大きな宇宙を造られた神が、その宇宙の中の一つの小宇宙に過ぎない銀河系の中のまたその小さな一つの恒星である太陽の周りを回っているほんの小さな一つの星である地球に住んでいる何十億人という人の中のひとりに過ぎない私たちひとりひとりに関心を持って下さり、助言者、カウンセラーになって下さるということは何という不思議でしょうか?それも単に天国で「そうか、そうか、人間の世界はそんなにいろいろな問題があるのか、大変だなあ。でも、応援しているからせいぜいがんばれよ」というような神ではなく、私たちの現実の困難に飛び込んでこられた神なのです。私たちの身長、体重、誕生日、血液型、趣味、好きな食べ物、嫌いな食べ物、それだけではなく、誰にも言えない自分の弱さ、自分の醜さ、すべてご存知で、その上で私たちを愛し、この地上にひとり子なる神が飛び込んできて、私たちの罪を全部背負って十字架で死んで下さったのです。これは考えれば考えるほど「すげーなあ」と思わされることです。 |
| だから、私たちは言葉を通して、行動を通して、音楽を通して、趣味を通して、私たちの持っているすべてを通して、この「すげー」神の愛の不思議を多くの人に知っていただきたいと思うのです。皆さんのうちに神様の不思議が起こりますようにと祈りながら…。 |
| 月報1999年9月号“牧師室から” |
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