『大人にも、子供にも・・・』



「子供達に『教会のキャンプはつまらない』なんて言わせない!!」という、ほとんど「意地」のような主義を掲げて続けてきたJOYJOYキャンプ。今年も、子供達の元気な声が教会にあふれました。力を使い果たして、毎年のようにキャンプの終わった直後には、「来年はもうちょっとペースダウンしよう」「次は『しっとり系』のキャンプなんてのはどうかなあ」と思うのですが、やっぱりいざとなると、力が入ってしまうんですよね。

今年のテーマは「おもかじイッパイ、オモシロいっぱい」。船で旅をしながら、神様の愛を子供達に伝えようと考えました。楽しい中に、毎日一つずつ、聖書のメッセージを語り、毎日一つずつ、聖書の言葉を覚えてもらおう、と思いました。参加者のうち、四分の三はいつも教会に来ていない子供達。どこまでわかってもらえるか、どこまで、「道徳」とか「いいお話」ということを超えた聖書の中心的なメッセージが伝わるか、私自身、懐疑的なところがありました。どちらかというと、「教会は楽しいところだから、また行ってみよう」と思ってくれれば御の字、もしも、10年後、20年後、30年後に、教会に誘われた時に、「ああ、子供の時に、ニュージャージーで教会のキャンプ行って、楽しかったなあ」と思い出して、「うん、行ってみようかなあ」と答えてくれれば、それでも意味がある、というような考えもありました。でも、驚いたことに、最後の日、聖書の中で一番大切な十字架の話をスタッフのひとりがしていた時に、50人の子供達はそれまでの何倍も真剣な顔で話を聞いていたのです。キャンプ中、いくつか教会の歌を紹介しましたが、子供達が一番一生懸命歌ったのが、まさに、そのイエスの十字架の愛を語る歌でした。

神はわたしたちを愛して、わたしたちと共に歩もうとしてくださっています。しかし、わたしたちが「罪」を持っているがゆえに、神はわたしたちを受け入れることができない。でも、何とかして、わたしたちを救いたい。そこで、神はひとり子イエスの上にわたしたちの罪をすべてかぶせ、十字架の上で罰することによって、わたしたちを救おうとされたのです。2000年前のイエスの十字架はわたしたちの罪の身代わりだった、神は、それほど、わたしたちを愛している。それが聖書の語るメッセージの中心です。

そのメッセージ、決して子供だから、わからない、という種類のものではないようです。イエスは言われました。

「だれでも、幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない。」(マルコによる福音書10:15)

本当は子供にこそ、このメッセージは必要なのかも知れません。わからないとか、まだ早い、なんて言わないで、子供達の可能性を信じて、大胆にメッセージを語っていきたい、そのように思わされました。

(かきごおり:錦織 学)

月報2004年9月号より


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