7月の初めから2週間、1年ぶりの日本訪問をいたしました。日本で、たくさんの方々にお会いできて、励まし合い、祈り合う時が持てたことを心から感謝致します。そのためにご尽力頂いた皆さん、ご家庭を開放してくださった皆さんに心から感謝します。また特に、「またこれから教会に行き始めよう」と思われた方々、皆さんとお会いできてとてもうれしく思います。どうか、これからの歩みを神様が導いて下さいますように、心からお祈りしております。
今回の訪問は、今まで以上に準備が遅れていました。今アメリカから外に出ても、もう一度入国できるようにするための「渡航許可」が下りるのが遅れていて、このままのペースで行くと、夏以降になるだろうか、という様子だったのです。ところが、5月半ばに急に許可がおり、「それでは」ということで、NJの教会の集会が少なくなり、また日本の出身教会の新会堂の献堂式が予定されていた7月に日本に行くことに決ったのです。その上、今年は何年ぶりかに夏に日本に行く方が多いようで、飛行機のチケットの予約を入れられる日も限られ、思ったような日程を組むこともできませんでした。「こんなに準備が遅れて、何のために日本に行くのだろうか」。そのような厳しい状況だったため、本当に祈らされました。状況が難しくなかったら、それほど祈らなかったかもしれません。でも、本当に厳しい状況の中で、祈らされたのです。祈らないではいられなかったのです。教会の皆さんも祈って下さいました。わたしが日本にいる2週間の間も祈り続けて下さいました。そして、祈って立ち上がり、いろいろな方々に連絡を取ろうとしました。その結果、何人かのどうしてもお会いしたかった方々と直前に連絡が取れたり、お会いすることができたりしました。そして、本当にエキサイティングな2週間を過ごしました。
「それはあなたと皆さんががんばったからでしょう」という方がおられるかもしれません。傍目ではそう見えるかも知れません。でも、今回、これが祈りの答えだということは祈ってきた者たちにはわかります。情熱さえも祈りの答えであり、電話が一本つながることも神様の助けであったとわかるのです。
新約聖書のヨハネによる福音書の2章には、イエスが結婚式のパーティーでぶどう酒がなくなってしまった時に、水をぶどう酒に変えた、という奇跡が書かれています。その中の一節の言葉がわたしの心に留まっています。「料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので(水をくんだ僕たちは知っていた)・・・」本当のことがわかるのは、陰で奉仕をする者たちです。陰で祈る者たちです。
わたしたちは問題にぶつかる時に、問題の大きさに圧倒され、押しつぶされてしまうことがあります。でも、わたしたちが目を向けるべきものは、問題自体ではなく、その問題をも支配しておられる、問題をも解決することのおできになる、この宇宙を造られた神です。その神に祈り、答をいただく、それを経験して頂きたいと思います。私自身、もっともっと祈り、この神の御業をもっともっと見せて頂きたいと思っています。
(かきごおり:錦織 学)
月報2004年8月号より