「神の導きを振り返って」



7月17日にニュージャージーに戻る予定でしたが、ビザの更新の手続きに時間がかかっていて、この原稿を書いている時点でまだ日本にいます。一日も早くニュージャージーに帰りたいと願いなら、祈っているところです。この原稿を皆さんが読まれる頃には帰っていることができればいいのですが・・・。
そんな中で、20日の礼拝が終わった夜に出発して、22日まで伊豆大島を訪問しました。ホーリネス教団のキャンプ場があり、お世話になった先生方がおられて、ご挨拶に伺いたかったからです。朝5時過ぎに到着し、キャンプ場に向かう路線バスに乗りながら、緑豊かな島の風景を眺めていました。その時に、中学一年生の時から、聖書学院に入るまでの10年間、毎年「大島泉の家」という名前のこのキャンプ場で開かれるキャンプに参加し、また裏方で奉仕をしてきた思い出がよみがえってきました。
考えてみれば、私が20歳の時、それまで言葉ではわかりながら、心の奥底ではわかっていなかったイエス・キリストの十字架に示された神の愛を本当に心の奥底まで感じる経験をしたのも、22歳の時、牧師になることを恐れ、自分の無力さ、弱さにうちひしがれていた時に、「私の力はあなたの弱いところに完全にあらわれる」との御言葉が与えられて立ち上がったのも、この大島泉の家だったのです。今回お会いした時に「夏のキャンプも大切だけれども、それに加えて、人々がちょっと休みに立ち寄って、ほっとしてもらえるようなオアシスのような所になったらいいと思っている」と言われていた泉の家のチャプレンの先生の言葉のとおり、たった30時間ほどの短い滞在だったのですが、魂のふるさとに帰るような経験をさせて頂きました。
滞在を延長せざるを得ないことがわかった時から、「この事をとおして神は私にどんなことを教えようとされているのだろうか」「何のために自分はここに引き留められているのだろうか」ということをずっと考えてきました。しかし、それはずっと「このような状況の中で、『JCCNJの牧師として』期待されていることは何だろうか」という視点で考えてきたものでした。しかし、そんな私に神が教えてくださった第一のことは、「JCCNJの牧師」という立場以前の「私」を神はどのように見ておられるのか、「私」を神はどのように導いて来られたか、ということだったのです。「教会では肩書きを捨てて・・・」といつも言っていながら、自分自身、肩書きを置いて、神の前にたたずむことをどれだけしているか、と思わされる一時でした。

「あなたがたの切り出された岩と、あなたがたの掘り出された穴とを思い見よ」(イザヤ書51章1節)

 8月は中高生キャンプとJOYJOYキャンプがあります。子供たち、若者たちにとって、私自身が経験したように、神の愛と守りを心の底から経験するような一時となりますように。

(かきごおり:錦織 学)

月報2003年8月号より