去る7月20日で、私はニュージャージー日本語キリスト教会の牧師に迎えられて6年目に入りました。自分の姿を振り返るならば、もう5年も経ってしまったのか、何をしてきたのだろうか、何もできなかったのではないか、という思いが湧いてきます。しかし、それと共に、5年の間も多くの方々が祈り、励ましてくださったんだなあ、という感謝も湧いてきます。
それに先立つ7月のある火曜日の夜、ニューヨークのブルックリンにあるブルックリン・タバナクルという大きな教会のPrayer Meeting(祈り会)に5年ぶりに出席しました。この教会が神様に祝福されていく様子は、Jim Cymbara, "Fresh Wind, Fresh Fire"(邦訳「神よ、私の心に聖霊の火をともして下さい」教会図書にもあります)に詳しく載っていますが、「神への祈り」を教会の原動力として成長してきた教会です。この夜も、4000人はいるという新会堂は白人、黒人、アジア人、いろいろな人種の人々でいっぱいでした。腹の底に響くような賛美と、心からの祈り、その熱心さに心動かされ、共に賛美する喜び、共に祈る喜びを感じていました。しかし、祈りが病気の方々のための祈りになって、人々が「神よ、あなたは癒すことができます!あなたは病気を治してくださいます!あの人も、あの人も治りました!医者に見捨てられたあの人も良くなりました!」と熱狂的に祈る中で、私はついていけないものを感じていました。その時、私はこの5年の間に天にお送りした数名の方々のことを思い出していました。30代、40代、50代、の若い方々もおられました。そのお一人お一人について思い出しながら、「神様、私は、私達の教会のみんなは、この方のために、あの方のために、この人々が今祈っているのに負けないくらい熱心に祈りました。そうです、もっと熱心に祈りました。祈り続けました。でも、この方も、あの方も、若くしてあなたの許に召されていきました。どうしてですか?どうして癒してくださらなかったんですか?」そう心の中で祈っていました。
続いてシンバラ牧師が聖書から話をしてくださいました。その中で、「今自分の感謝すべきことを思い出してください」ということが語られました。その時に頭に浮かんだのがこの5年間で受洗に導かれた30名の方々の顔でした。決して人数的には多くはなくても、心から喜んで洗礼を受けられたお一人お一人の姿を思い出しました。そして、天にお送りした方々についても、あの方も、この方も神の許にお送りしたんだ、また、その痛みの経験を通してこの家族も、この家族も神を信じる者とされた、そんなことを思い出させられました。「病気が治る」という奇跡はあまり経験できませんでしたが、人の内側が造りかえられ、苦しみも感謝に変えられていくという奇跡は何度も見せて頂きました。そのことに思い至った時に、それまで心にあった、「ついていけない気持ち」は取り去られ、心には5年間守られ、奇跡を見せられてきた感謝が湧いてきました。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103篇2節)
自分のしてきたことを思い出すと、何もできなかったなあ、という思いが湧いてきます。でも、神がしてくださったことはどれほど大きいことか、と思わされます。これからも、神が更に大きなことをしてくださることを期待して、私の使命である「キリストの十字架に表された神の愛を伝えること」に励んでいきたいと願っています。
「『神が良くしてくださったこと』を数えて・・・」
去る7月20日で、私はニュージャージー日本語キリスト教会の牧師に迎えられて6年目に入りました。自分の姿を振り返るならば、もう5年も経ってしまったのか、何をしてきたのだろうか、何もできなかったのではないか、という思いが湧いてきます。しかし、それと共に、5年の間も多くの方々が祈り、励ましてくださったんだなあ、という感謝も湧いてきます。
それに先立つ7月のある火曜日の夜、ニューヨークのブルックリンにあるブルックリン・タバナクルという大きな教会のPrayer Meeting(祈り会)に5年ぶりに出席しました。この教会が神様に祝福されていく様子は、Jim Cymbara, モFresh Wind, Fresh Fireモ(邦訳「神よ、私の心に聖霊の火をともして下さい」教会図書にもあります)に詳しく載っていますが、「神への祈り」を教会の原動力として成長してきた教会です。この夜も、4000人はいるという新会堂は白人、黒人、アジア人、いろいろな人種の人々でいっぱいでした。腹の底に響くような賛美と、心からの祈り、その熱心さに心動かされ、共に賛美する喜び、共に祈る喜びを感じていました。しかし、祈りが病気の方々のための祈りになって、人々が「神よ、あなたは癒すことができます!あなたは病気を治してくださいます!あの人も、あの人も治りました!医者に見捨てられたあの人も良くなりました!」と熱狂的に祈る中で、私はついていけないものを感じていました。その時、私はこの5年の間に天にお送りした数名の方々のことを思い出していました。30代、40代、50代、の若い方々もおられました。そのお一人お一人について思い出しながら、「神様、私は、私達の教会のみんなは、この方のために、あの方のために、この人々が今祈っているのに負けないくらい熱心に祈りました。そうです、もっと熱心に祈りました。祈り続けました。でも、この方も、あの方も、若くしてあなたの許に召されていきました。どうしてですか?どうして癒してくださらなかったんですか?」そう心の中で祈っていました。
続いてシンバラ牧師が聖書から話をしてくださいました。その中で、「今自分の感謝すべきことを思い出してください」ということが語られました。その時に頭に浮かんだのがこの5年間で受洗に導かれた30名の方々の顔でした。決して人数的には多くはなくても、心から喜んで洗礼を受けられたお一人お一人の姿を思い出しました。そして、天にお送りした方々についても、あの方も、この方も神の許にお送りしたんだ、また、その痛みの経験を通してこの家族も、この家族も神を信じる者とされた、そんなことを思い出させられました。「病気が治る」という奇跡はあまり経験できませんでしたが、人の内側が造りかえられ、苦しみも感謝に変えられていくという奇跡は何度も見せて頂きました。そのことに思い至った時に、それまで心にあった、「ついていけない気持ち」は取り去られ、心には5年間守られ、奇跡を見せられてきた感謝が湧いてきました。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103篇2節)
自分のしてきたことを思い出すと、何もできなかったなあ、という思いが湧いてきます。でも、神がしてくださったことはどれほど大きいことか、と思わされます。これからも、神が更に大きなことをしてくださることを期待して、私の使命である「キリストの十字架に表された神の愛を伝えること」に励んでいきたいと願っています。
(かきごおり:錦織 学)
月報2002年8月号より