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「すきまのある生活」
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| 先日久しぶりに読んだ本の中に「生活にすきまを作る」ということが書かれていました。忙しすぎる現代人にとって、それってとても大切なのではないだろうか、そう思わされたのです。少々長いのですが、引用させていただきます。 |
| 「現代人には沈黙ということが欠けているのではないでしょうか。自分の生活の主導権を失い、出来事に引きずられて生きている。時計とにらめっこの生活ですね。色々な方が私に会いに来られますが、それは、私の中に安らいだ人間、話を聞いてくれてあとの時間のことを気にかけない人間を見るからではないかと思います。毎日の生活が卵の中のように一杯つまっていたら、何も入れる余地はないし、神ですらそこに何も入れることができないでしょう。ですから、生活の中にすきまをつくることが大切になるんです。」(ポール・トゥルニエ著・山口實訳「人生を変えるもの」1987年ヨルダン社刊) |
| これを読んでいて、三年前のことを思い出しました。ケンタッキーのアズベリー神学校を会場にしてもたれた、「東洋宣教会」という宣教師を世界に送っている団体の大会にお招きいただき、行くことになりました。「招かれた」といっても、現地の宿泊費と参加費だけ出してくださる方がいて、旅費は自分持ちです。当時苦学生だった私たちは悩みぬいたあげく、その頃少し調子が悪くなり始めていた小さな車を整備に出して、テントを積んでケンタッキーまでキャンプ旅行にいざ出発。初日ペンシルベニアを横切って西の端まで行ったところで、ちょっと良さそうなファミリーキャンプ場に入って泊る事にしました。ところが、雨に降られ地面はビショビショ、背中には石が当たるし、おまけに近くを通る高速道路の音はうるさい、と眠れない夜。 |
| 翌朝「キャンプ場は看板で選んではならぬ」という教訓を胸にスタート。オハイオに入った私たちは、「同じ間違いを二度繰り返しはしない!」とわざわざ「高速道路から離れた」キャンプ場を探して、泊りました。時は六月下旬の平日。だだっ広ーい芝生のキャンプ場にテントを張るのは私たちだけ。「どこでも好きなところに泊っていいよ」というキャンプ場のおじさんの言葉を聞いて、テントを張ったのは、ぽつんと芝生のど真ん中に立っていた木の下。日が暮れて、子供たちが寝静まった後、コーヒーを入れて、夜空を見上げました。久しぶりに見る満天の星空。「この宇宙を神様が創られたんだなあ」と思っていると不思議な気持ちになりました。「その神様から見たら自分はどんなにちっぽけなんだろう」「でもそのちっぽけな自分が神様から見たら『とっても大切な存在』なんだっていうんだからなあ」「あの星が今見ている光を放ったのは何百年も前なのか・・・」「自分が生まれるよりずっと前からここはアメリカだったんだよな、西洋人が大陸を見つける前から・・・」「なんかあくせくしてないかなあ、最近」・・・(まずいまずい、原稿書きながらまた行きたくなってしまった・・・)。 |
| 「自分の生活の主導権を失い、出来事に引きずられて生きている」。トゥルニエの言葉にどきっとさせられます。 |
| 今年の夏、自分を取り戻すために、生活にすきまをつくってみませんか? |
| 「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇四六篇 一〇節) |
| 月報1999年7月号“牧師室から” |
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