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「病床の涙」
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| 6月20日午後5時、わたしたちの教会はまた一人の仲間を神の御許にお送りしました。「仲間」というより「兄弟」、わたしから見たら「お兄さん」、重留正寛さんです。重留さんはアメリカに単身乗り込んできて、自分の手で道を開いてきた方でありました。まさに「男」を感じさせる方でした。その重留さんが熱心に求める中で、イエス・キリストに出会い、洗礼を受けたのは4年前です。しかし、その後、病に倒れ、3年間病の中で戦ってこられました。神様が助けてくださいましたが、その闘病生活は決して絵に描いたような「信仰による勝利の連続」ではありませんでした。ある時にはどうしてもつらくて、苦しい思いを電話でぶつけてこられたこともありました。でも、いつも「元気になって、もう1回教会に行くんだ」そういう願いを持って戦ってこられました。 |
| 最後にお会いしたのは、容態が急変して危篤状態に陥った、との連絡を受けた17日の土曜日でした。昏睡状態で、こちらが話しかけてもわかっているかどうかわかりません。いや、わからないように見えました。でも、それでもわかっているのだ、という話も聞くので(私もそう信じています)、いろいろ話しかけました。こちらの話に反応するかのように、呼吸が速くなったり、遅くなったり・・・。それでも、眠っているように見えました。 |
| お話を終えて、失礼するとき、聖書を開いて祈りをささげさせていただきました。「私たちは、この地上では、多くの人と共に生きています。多くの方々に支えられています。いろいろな悩みや苦しみも、周りの方々の助けに支えられて乗り越えていくことができます。けれども、どんなに私たちが愛していても、大切に思っていても、死の川波を越えていくときは一人です。どんなに手を握ってあげても、どんなに抱きしめても、重留さんと一緒に死のあちら側に行ってあげることはできません。けれども、そこにも共に行ってくださる方がおられます。それがあなたのために十字架にかかってすべての罪を背負われたイエス・キリストです。だから大丈夫です。恐れなくて大丈夫です。」 |
| 「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。」
(旧約聖書・詩篇23篇4節)
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| 重留さんの心の平安を祈り、重留さんを支えてきた周りの人に「ありがとう」を言えるチャンスを、その力を与えてください、と祈り、目を開けて重留さんを見ると、その目には涙があふれていました。 |
| それから、2日後、周囲の「わかる?」との声に、「わかる」と答え、「手を握ってみて」という呼びかけに、手に力を入れたということです。それが、重留さんの精一杯の「ありがとう」でした。
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| 翌日の夕方、重留さんは平安のうちに天に召されていきました。その3年間の闘いから解放されて、父なる神の腕に安らいでおられます。けれども、遺された者たちには寂しさがあります。ご遺族の上に神様の慰めがございますように。 |
| 月報2000年7月号“牧師室から” |
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