「アメーバみたいな教会へ!」



「これから私達の教会はどのように進んでいくのだろうか?私達はどこに進んでいくのだろうか?」
 ロンドンJCF(Japanese Christian Fellowship)の盛永進師をお迎えしての2泊3日の修養会、それに続く教会創立15周年記念企画は私達にとってとても幸いな時となりました。修養会では、ペンシルベニアの会場で、丸々48時間、静かに祈りと聖書からのメッセージを聞くことに集中して時間を過ごし(あ、まあ、そりゃ、バレーボールやテニスにも熱くなりました、それから、ご飯もおいしくいただきました、あとそれから・・・)、また教会に帰ってきて、15周年の諸集会では、多くの方々と共に教会のここまでの歩みを感謝して、「熱い」と言うか「語っておられるうちにどんどん熱くなっていかれる」先生を通して聖書の御言葉を聞きました。そして、それから1週間が経とうとしている今、わたしの心に語りかけられたことを反芻しながら、最初に記した、そんな思いで過ごしています。

盛永先生が何度も繰り返し語って下さったことの中に、神様は今も、イエス・キリストの十字架のゆえに、私達をそのまま受け入れ、迎えて下さるお方なのだ、ということがありました。確かに、今から2000年前、主イエスが地上を歩まれた時に、イエスの周りには一般民衆だけではなく、人々から後ろ指を指されていた人々や、見放されている人々もたくさん集まっていました。彼らはイエスを見て、「わたしとは関係ない」とか、「あの人はわたしのような人間が付き合うようなタイプの人ではない」なんて全然思わなかったのです。イエスのうちに「わたしにはイエスの所に行く資格なんかない」なんて人々に思わせるようなものはなかったのです。「ああ、イエスはいつも受け入れてくれるんだな」と感じさせるものがあったのです。そして、ある時はイエスの方から出て行って、「自分には関係ない」と思っている人々に触れて、彼らを招かれたのです。

そのイエスの姿にこれからの私達の進んでいくべきところを見るような気がします。

アメーバみたいな教会・・・ってのを考えました。
1) アメーバは単細胞!・・・単純にイエス・キリストの十字架の福音、神の愛の福音を語っていく。
2) アメーバの中心には核がある・・・「神に祈ること」が教会の核であり、神の愛が私達のエネルギー源。
3) アメーバはどんどん形が変わる・・・どんどん形が変わって、そして、周りのものを取り込んでいく。形が変わって、周りに触れていく。「教会堂」とか「日曜日の礼拝」だけが教会ではなく、イエスを知って、イエスを信じて、イエスと共に生きる一人一人のクリスチャンが出て行くことによって、そこで周りの皆さんにイエスに触れて頂く。
4) アメーバは十分に育ったら細胞分裂する・・・やがての日、新しい教会をまた生み出していく。

 どこででも結構です。このアメーバ教会を通してイエス・キリストに触れて頂ければ・・・と思います。6月15日は野外礼拝、Van Saun Parkでピクニックをしながら礼拝をします。是非、おいで下さい。あ、考えてみれば、このニュースレターもアメーバ的な働きの一つですね。このニュースレターを通して、皆さんの心に神の愛が届きますように。

「ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その一匹を捜しに出かけないであろうか。」(新約聖書・マタイによる福音書18章12節

(かきごおり:錦織 学)

月報2003年6月号より