「与えられたものを生かして・・・」
 4月に中野雄一郎・明子先生ご夫妻が来られたとき、ある集まりで、「2人組になってお互いに相手の『いいなあ』と思うところをほめ合ってください。そして、ほめられた方は『そんなことないですよ』と日本的に否定するのではなくて、『ありがとうございます』と素直に受け取ってください」と先生が言われ、実際にやってみる時間がありました。私自身、中野先生と2人になってこれをやってみたのですが、それが結構難しくて、相手をほめるのはまだいいのですが、相手にほめられた時に、「いいえ、そんなあ、わたしなんて・・・」ってつい言いたくなってしまうんですよね。そして、言葉だけで否定しているかというと、そうとも言えなくて、心の中でも、「ほめられるほどじゃありませんよ・・・」みたいな気持ちが動いているのがわかったりするのです。
 「あなたにはどんな才能がありますか?」「あなたにはどんないいところがありますか?」と聞かれて、日本人は多くの場合、「いや、何にもありませんよ」とか「えー、そう言われても・・・。」というような返事をするのではないでしょうか?場合によっては日本的な「謙遜」でそう答える場合もあるでしょうが、本当に自信がない場合も結構多いのではないかと思います。
 聖書の中で、わたしの好きなストーリーに「タラントのたとえ」というのがあります(聖書をお持ちの方はマタイによる福音書25章です)。イエスが人々にされたたとえ話ですが、主人が僕(しもべ)たちにお金を預けて旅に出た。ある僕には5タラント、ある僕には2タラント、そしてある僕には1タラント。そして、主人が旅から帰ってきて、僕たちを集めて、どうだったか、聞く。5タラント預かった僕はそれを元手に5タラント儲け、2タラントの僕は2タラントを儲けた。しかし、1タラント預けられた僕はその元のお金を持ってきて、主人に言った。「あなたは厳しい酷な方なので、怖くなって、あなたのお金を大切にしまっておきました。さあ、あなたのお金があります。どうぞ、お取りください」と。その時、主人怒ったの怒んないのって、めちゃ怒ってこの僕からそれを取り上げて、追い出した。って話です。この1タラント預かった人は何が悪かったのかなあ、と思います。だって、最低、損はしなかったわけですよね。でも、主人は怒ったっていうんです。これはイエスが神様とわたしたちの関係をたとえている話です。わたしたちは神様からいろんなものを預かっている。それをしまっていて、宝の持ち腐れで、活用しないでいると神様は「怠け者!」って怒られるっていうことです。
 わたしたちに与えられているもの、才能にしろ、教育にしろ、人生のいろんな出会いやチャンスにしろ、それらは、聖書によると、みんな神様があなたに預けているもの、与えているものだっていうんです。それを生かすことを神様は期待しておられるし、要求しておられるのです。
 わたしたちは「わたしは何もできません」「わたしの才能なんてたいしたことありませんよ」なんて謙遜のつもりで言うかも知れません。けれども、それは聖書によるとそんなのは謙遜でも何にもない、神様が与えてくださったものを軽く見て、安く見積もっているだけなのです。それをあなたに預けてくださった神様に対して失礼なことなのです。
 神様はあなたにどんなものを与えておられるでしょうか?それを喜んで感謝して受け取って、生かしていくことができれば、とても幸いなのではないでしょうか?
月報2001年6月号より