4月は「イースター」の話を書きましたが、今月はまたまた会堂の話。
2月号の月報にはこのように書きました。
「神様はすばらしいことを私たちの教会にしようとしておられるんだなあ、と思います。『教会堂ができた』とか『たくさんの人たちが教会に来るようになった』とかということも実現したらいいと思います。でも、それよりも何よりも、神様が『私たち一人一人の人格を大切にしてくださって、私たちの内面的なものを取り扱われる』としたら、それは何とすばらしいことでしょうか?是非、そのようにして頂きたいと思います。必ずしも私たちの願い通りにいかないかもしれない。思いがけない苦しみが襲ってくることがあるかもしれない。でも、そんな中で神様が私たちの内面的なものを取り扱ってくださって、もっともっと『地の塩』としての味を豊かにしてくださり、『世の光』としての輝きを増させてくださるとするならば、どんなにすばらしいことでしょうか?そちらの方がどれほど教会にとって、クリスチャン個人個人にとって大切でしょうか?」
この2ヶ月の間にいろんなことがありました。
3月の終わりに、今使わせていただいている教会から北に20分くらいのところにある建物を検討しました。その建物は他に欲しいという相手がいたために、教会全体でじっくり考えることを後回しにしてのオファーを入れて、数日後、それが受け入れられたとの連絡があって、すぐに臨時総会が招集されて、その時点でもいろんな意見が出ていて、一つにまとまらない、総会でどうなるか、見当も付かない。でも、総会直前になって、一転「売り手が最終的にもう一つの買い手を選んだ」との連絡が来るという、まあ、めまぐるしい、あわただしい3週間を過ごしました。
しかし、本当にその経験を通して、「ああ、本当にすぐにでも動ける」という手応えを感じました。それと共に、こういう経験をしていく中で、整えられていくのだと感じました。「遠い」「大丈夫」「小さい」「手頃」「教会として使える保証がない」「許可は簡単に取れる」「いや、むずかしいらしい」「お金がない」「神様が与えてくださる」今回もいろいろな意見が飛び交いましたが、それと共に、一人で祈り、仲間と祈り、集会で祈る中で、本当に私たちにとって大切なものは何か、目が開かれてくるのだと思います。「会堂を買う」という表面的な目標達成のための効率を考えるならば、一部の人で話し合って決めて進んでいくのがいいでしょう。実際、そのようにしている教会もたくさんあります。でも、このプロジェクトは教会全体が整えられ、一人一人の信仰が整えられるために必要なことでもあるのです。
この2,3ヶ月の出来事を通して、「お金の心配ばかりしていたけれども、私たちの心の中身に目を留めるようになった」「人任せだったけれども、自分で祈るようになった」いろんな声を聞きます。神様は確かに私たちを動かし始めてくださっています。これからも主は私たちにいろんなチャレンジを与えられることでしょう。思ったようにいかないことも起こってくるでしょう。それらのことを通して、私たちの内側に神様がしてくださることを、これからも待ち望みながら歩んでいきたいと思います。
「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、あなたがたの心の目を明らかにして下さるように。」(エペソ人への手紙1章17-18節)
(錦織 学)
月報2007年5月号より
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