アメリカを中心とした連合国とイラクとの戦いが始まりました。この原稿を書いている段階ではまだ攻撃が始まってからあまり時間が経っていないのですが、展開が早く、皆さんがこれを読まれる時にはどんな状況になっているか、想像できませんが、長い間続いた緊張がこのような形になってしまったことは残念です。速やかに終結に向かうことを願ってやみません。
イエスは言われました。
「人に惑わされないように気をつけなさい。・・・また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい。あわててはいけない。それは起こらねばならないが、まだ終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。・・・多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(マタイ24:4-13)
私のとても好きな話があります。
太平洋戦争が終わった時、彼の心は反感と憎悪に燃えていました。祖国を愛し、敵愾心を抱いて戦ってきた日本の軍人であった彼は、戦争が終わった後の戦犯裁判は勝者が敗者を裁く、法に名を借りた復讐だと思っていました。そんな彼が、ある時、アメリカに捕虜となっていた人々を迎えに浦賀に出かけました。彼が捕虜となっていた人々をねぎらったところ、あるキャンプにいた捕虜たちが次のような話をしてくれたというのです。
この人々の捕らわれていたキャンプに、あるアメリカ人のお嬢さんが訪問するようになり、いろいろと日本軍捕虜に親切にしてくれました。病人たちへの看護から始まり、2週間、3週間がすぎても何の邪意もなく、本当に良くしてくれたそうです。ある時、彼らが「どうしてこんなにわたしたちに良くしてくれるのですか」と聞いた時、しばらくためらっていたようですが、お嬢さんが口を開いてくれました。「私の両親が日本軍に殺されましたから・・・」と。
なんだそれは逆じゃないか?と思った彼に、人々は続けました。このお嬢さんの両親は宣教師でフィリピンにいました。日本がフィリピンを占領したので、彼らは山の中に逃れて隠れたのですが、3年後、アメリカ軍が逆上陸してきた時に、山中に追い込まれた日本軍が彼らの隠れ家を見つけ、彼らにスパイの嫌疑をかけるのです。そして、そこで殺されそうになる時に、ご両親は「わたしたちはスパイではないが、もし、斬るというなら、30分時間をくれ」と言い、聖書を読んで神に祈り、斬につきました。そのニュースが留守を守っていたアメリカのお嬢さんの元に届きました。お嬢さんは悲しみと涙で一杯になったでしょう。しかし、最後の30分両親が何を神に祈ったかを考えた時に、彼女は日本軍のために何ができるだろうか、という思いに変えられていたというのです。
その話を聞いた時に、彼は美しい話だとは思いつつ、よくわからなかったそうです。しかし、それがきっかけになり、彼はクリスチャンになり、憎しみから解放されるのです。真珠湾攻撃の「英雄」淵田美津雄さんです。 (「父よ、彼らを赦したまえ」淵田美津雄・「百万人の福音」2000年8月号参照)
不安な時代、人の心に暗雲がたれ込め、「私に何ができるだろうか?」と思わされるような時です。だからこそ、状況に振り回されず、恐れず、あわてず、ほんの小さな事でもいい、愛を示していく、それがわたしたちの使命ではないでしょうか?
(かきごおり:錦織 学)
月報2003年4月号より
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