「いのちの勝利」
 ハッピー・イースター!
 今年ももうすぐイースターがやってきます。今年のイースターはいつもよりずいぶん遅い、と感じておられる方もおられるでしょうが、イースターの日付は毎年変わります。これは紀元325年の教会会議で「春分後最初の満月の次の日曜日をイースターとする」と決まったおかげ。まあ、そんな昔に何かややこしいことを決めてくれたもんだと思いますが、これはイエスの復活がユダヤ教の「過越しの祭り(パスオーバー)」の直後であったという聖書の記述から計算したもので、今でもパスオーバーとイースターが大概くっついているのはこのせいなのです。ちなみにこのイースター、一番早い場合で3月22日、一番遅い場合で4月25日だそうで、今年の4月23日はとても遅い方なわけです。
 そのイースターの直前の金曜日が「グッドフライデー」。こちらはイエスが十字架にかけられた日。どうしてそのイエスの処刑の日が「グッド」なのか?いやあ、こいつには私も、アメリカに来たばかりの頃は「どうして『グッド』と言うのかなあ?イエスの『苦しみの日』なのに…。」って感じました。調べてみると、実はどうやらこれはもともと「God’s Friday」だったのがなまったらしいとのこと。でも、今では「この『グッドフライデー』というのもなかなか素晴らしい呼び方だ」と思えるようになってきました。イエスが十字架につけられたのは私たちの罪の身代わりだった、イエスが私たちの罪を全部背負って、処分してくださった、それによって私たちが赦され神の前に出られる、神様と共に生きてゆける、という福音(グッドニュース)の中心の日だから。つまり、私たち人間にとって、とてもとても「グッド」な日ということで…。
 「わたしはよみがえりであり、命である。」
(ヨハネによる福音書11章25節)
 そのイエスが3日目に「死」に打ち勝って復活したというのですから、こりゃまたすごいことです。この「死」という奴は厄介な奴で、人間ならば誰も逃げることなんかできやしません。普通は「自分にはしばらくはやってこない」とたかをくくっていますが、いつでもやってくる可能性があるわけで、「忘れる」「目を背ける」ことはできますが、そんなことで何とかなる相手じゃありません。そんな私たち人間にとって究極の敵である「死」に対して、イエスは真正面からぶつかり、まさにその腹を破るようにして死を打ち破って復活し、イエスに従う者に、死への勝利を約束しているのです。
 私自身、今までの歩みの中で一度だけ自分の死を考えたことがありました。10年ほど前事故で頭を打った時です。その時牧師のインターンをしていた私を襲ったのは底知れぬ孤独感でした。「どんなに自分の手を堅く握ってくれる人がいても、励ましてくれる人がいても、大丈夫だと言ってくれる人がいても、何かがあった時この世を去っていくのは自分一人だ…」。不安な夜を過ごす中で、私の心の中に一つの聖書の言葉が響いてきました。「たとい死の陰の谷を歩むとも災いを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです」(詩篇23篇4節)。いや一人ではない。イエス・キリストが、私のために罪を背負われた方、死を打ち破られた方が共におられる。死の川浪も共に渡ってくださる。その時心を満たした平安は忘れられません。
 「死は勝利にのまれてしまった!」
コリント第1の手紙15章55節
このイースターの勝利の平安があなたの心も満たしますように!
月報2000年4月号より