「一つ一つの出会いの中で、神様の導きを感じることができますように。」
先月の月報の<牧師室より>をこの言葉で締めくくりました。今、改めて、先月の<牧師室より>を読み返してみると、ああ、神様はこの祈りを聞いてくださったなあとしみじみ思わされます。
時間を調整している中に、いろいろな方々と連絡を取っている中に、神様がパズルを組み合わせるように時間を作って下さって、出会いを与えて下さったことを感じさせられます。また、その中で心に触れる働きをさせて頂いたこともありました。もちろん、そんな中でももう少し時間があったら良かった、とか、ほんとうにどうしてもお会い出来なかった方々もおられるのですが、すべてが守られたことを感謝しています。多くの方々が祈りによって支えて下さっていることを、心から感謝します。
その一方でまた日本でも多くの方々が忙しさの中に埋もれてしまいそうな日々を送っておられることも感じました。自分自身、忙しく動き回っている中で、やはり、この日本訪問を導いて下さっている神様を見失いそうになることがありました。先月、ここに書かせて頂いた、「祈りのリズムの中に生きる」こと、教会でも何度かお話ししている「礼拝のリズムの中に生きる」「生活全体が礼拝に飲み込まれてしまう」、という歩みがどれほど見失われやすいのか、を身をもって体験することになったのです。
そんな中で、思わされたのは、「私たちが主を見失うことがあっても、主の方は私たちのことを見失うことはない」ということです。
「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」(ヨハネ14章18節)
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」(マタイ28章20節)
「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない。」
(ヘブル13章5節)
この春も何人かの方々を日本にお送りします。
いつものことではありますが、決してこれに慣れることはありません。
「送り出す教会」の使命をいただいていますが、だからといって、寂しい気持ちがなくなるわけではありません。
「送り出す教会」であるならば、送りっぱなしではなくて、祈り続け、支え続け、声をかけ続け、いつもいつもお一人一人が、生きるエネルギーの源である神様に目を向けることができるように、励まし続ける責任も負っている、そのように思われます。日本におられる方、日本に今から旅立っていこうとされる方、あなたのために祈っています。
(錦織 学)
月報2008年3月号より
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