『なんでこんなに荷物があるんでしょう?』



先日、自宅の勉強部屋の大移動をしました。
通称「大地下」と呼ばれている地下室から、「半地下」と呼ばれている部屋に移動したのです。牧師の勉強部屋と子供たちの遊び部屋が一緒じゃあ、何か落ち着かない、ということで、ほとんど「倉庫」か「無目的部屋」となっていたところに本棚や、机を移動したのでした。距離的には「大移動」なんてもんじゃない、階段にして5段の移動だったのですが、一日仕事になってしまいました。

こんな「模様替え」や「引っ越し」の時には、いつもつくづく思わされるのが、「何でこんなに荷物が多いかなあ」ということです。書類の山も普段整理していれば何てことはないのでしょうが、「これでもか」というくらい出てきます。そして、使わないものの多いこと。買うまでは「これがあれば、俺の生活はバラ色だ」と思って、決心をして買ったのに、何回か使ってお蔵入りのものもたくさん・・・。「またいつか役に立つ時が来る」なんて自分に言い訳をしながら、また元の所にしまってしまうのです。

私の好きな本の中に、金纓という方が書いた「それでも私は旅に出る」というのがあります。この方、日本人の牧師と結婚され、自分も牧師として歩んでこられた韓国出身のご婦人です。若くしてご主人が亡くなられた後、東京の一つの教会の主任牧師として8年間ご奉仕されていたのですが、ある時その教会を辞して、リュックひとつ背負って世界の国々を回るために旅立ちます。その経験をまとめたのがこの本です。

その中で、金さんは「旅の荷物は軽い方がいい、無駄な使わないものはなくてもいい」と説き、以下のように言っておられます。
「人生の旅も、少し荷物を減らせばもっと自由に、また楽に生きられるかもしれない。半年以上も南米を歩いたあと、アメリカの友人たちの家を訪ねたが、どの家にも物の多いことに驚いた。私の目には、その夥しい物のために身動きができず、縛られて生きているように見えた。・・・それを豊かな生活だと思って疑わないのだ。」(金纓著「それでも私は旅に出る」2001年、岩波書店、47-48ページより)

豊かさ、自由、ってなんだろうと思います。豊かな生活だと思っているものが、実はわたしたちを縛っているのかもしれない。トレンドに振り回され、周りの人が持っていると、「みんな持っているよ」(経験上、だいたい3人以上になると「みんな」になるようだ・・・)と時代遅れにならないようにとウチでも買おうとなる。それで幸せだと勘違いしているのではないか、また、いつの間にか家の中が荷物でいっぱいになっている、それで豊かになったと勘違いしているのではないかと。

聖書のヘブル人への手紙11章13節には、わたしたちはこの地上では旅人である、天の故郷を目指して歩いている旅人である、と書かれています。教会では2月25日から4月11日のイースターまで、キリストの十字架の苦難を覚えてレント(受難節)を守ります。生活を見直すいいチャンスとなりますように。

(かきごおり:錦織 学)

月報2004年3月号より