「顔と顔とを合わせて」

二月一五日から二五日の間、日本に一時帰国し、帰国された方々や、家族や関係者の方々を訪問したり、電話でお話をしたり、集まりを持ったりしました。これらはそれぞれの集まり(東京・横浜西宮)の時の写真です。とても幸いな時を持ちました。急に決まったので、手許に連絡先がなく、連絡できなかった方、連絡から漏れてしまった方には申し訳ありませんでした。

このように集まりを持つのは、何かNJでの生活を思って後ろ向きに懐かしがっていく、とかいうのではなく、日本に帰国した後も、それぞれの教会にしっかりと根付き、場所は違っても同じイエス・キリストを信じる兄弟姉妹として共に励まし合って進むことができれば、また、しばらく教会に行けないでいた方々が心燃やされて、また癒されて、もう一度教会に帰るきっかけとなれば、という願いからです。

今回実際に日本に来て、感じさせられたのは、皆さんとお会いして、顔と顔とを合わせてお話をすることの大切さです。今、国際電話も安くなり、Eメールなどでは、ただですぐに連絡が取れる時代になりました。しかし、それでは伝わらないメッセージがあるのだなあ、と思いました。顔と顔とを合わせてお話をしたり、お祈りをしたりしていく中で伝わっていくもの、それはまたこの月報の紙面を通してお伝えするのがなかなか難しいのですが、顔の表情やしぐさ、声の表情が語るものがあるのだと思います。人格が触れ合うようなものがあると思います。今回お会いした中のお一人は言葉も話せず、筆談もできませんでしたが、お会いして手を握り合ってお祈りをする中に触れ合うものを感じました。今、日本では「携帯メール」が普及して、携帯電話で話をするよりも、携帯電話でできるメールのやり取りで済ませてしまう人が増えています。すぐ隣り合わせの二人が携帯メールでやり取りをしている場面などもあるようです。また、かく言う私自身、大切な用事をEメールで済ませてしまうことがあったりします。メールだからこそ言えること、伝えられることもあるでしょうし、口で言うのではなくメールで伝えるからこそ冷静になれる場面もあるかもしれません。でも、メールだけでは伝わらないことがあります。それによって失ってしまっているものもあります。それによって伝わらなくなってしまっていることもあります。顔と顔とを合わせて初めて伝わるものがあるのではないでしょうか?そして、そこに本当に大切なメッセージがこめられている場合が多いのではないでしょうか?

「わたしは、あなたがたに会うことを熱望している。あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて、力づけたいからである。それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとのお互いの信仰によって、共に励まし合うためにほかならない。」
(ローマ人への手紙一章一一〜一二節)

お互い時間が取られても、会ってお話しをして、祈り合っていく、私たちの教会がそんな教会となるようにと願っています。

月報2002年3月号より