『あなたには何がありますか?』



最近、何回か教会の集まりの中で、皆さんに聞いた質問です。

「あなたには『私にはこれがある』というモノはありますか?」

さあ、皆さんどうでしょうか?
あなたは何をお持ちですか?
奥ゆかしい典型的日本人は「私には人様に向かって『私にはこれがあります』なんてモノは何もないですよ・・・」と言われるかもしれませんが・・・。

私自身も考えてみました。

家族、健康、元気、やる気、仲間、教会、読み書きの力、記憶力、情熱・・・

そうやって書き出してみて、考えるのです。この中で「いつかは必ず手放さなければならない」「おそらくいつかは手放すことになるだろう」というものを消していって、何が残るだろうかと・・・。

家族・・・そう、いつかは手放さなければいけないかもしれません。先立たれたり、失ったり。
健康・・・これもそうですね、事故や急な発作で亡くなるのでなければ、「病気」で寝込む時があるでしょう。
元気・・・今はたまたまあるけれども、落ち込んだりすることもあるし・・・。
やる気・・・上に同じ。
仲間・・・別れる時もあるんだろうなあ。でも、また新しい仲間ができるかな。
教会・・・形としての教会は、縁遠くなっていくことがあるかも・・・。神様は私を離さないけど。
読み書きの力・・・これはもうすでに老眼始まっているみたい。
記憶力・・・これも結構あやしい。
情熱・・・これもアップダウンあるよね。

みんな自分にとって大切なモノです。でも、いかに、自分が大切に感じているこれらのモノが、いつか手放さなければならないモノであるかを、痛切に感じさせられました。

何が残るだろうか?すべてが奪われても残るモノはあるんだろうか?そう思います。

今年の9月初めに東海岸の日本語教会が合同のファミリーキャンプをしますが、その時に御自分の体験をお話ししてくださることになっているイ・チソンさんの本を読みました。

22歳の時に、酔っぱらい運転の車が後ろから突っ込んできて、車は炎上、大やけどを負いながら九死に一生を得た彼女が、何度もの手術を乗り越えて、今、生かされている自分の使命は何か、ということをはっきり知って、私たちに語りかけている本です。

大やけどによって顔まで全く変わってしまって、「あんなふうになって、よく生きていられる」という心ない声に心傷つきながらも、「自分も事故直後、同じようなことを口走った。こんなんじゃ生きていけないと。でも、神様はこの私に生かしてくださり、今は事故に遭う前よりも、ずっと楽しく生きている」と語られるのです。

人は「その人は強い人なのだ」と言うかもしれません。でも、彼女は自分の力ではなく、神様の力によって生かされているのだと、はっきりと告白しています。

私もこれからどんどん「これが私にはある」と思っているものを手放していかなければならないでしょう。チソンさんのように急な事故や病気で、「奪われる」ということがあるかもしれません。でも、そんな中でも決してなくなることのない、「神様からの私たちへの愛」を受け取っていることはどれほどすばらしいことかと思います。

「わたしたちは、この宝(イエス・キリスト)を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。」
(コリント人への第2の手紙4章7節)

今年教会が掲げていく聖書の言葉です。私たちの限界を超えて働かれる神の力を見せていただきたいと願っています。

月報2006年2月号より


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