実は・・・ってすでに知っている方も多いのですが、私は高校時代、将来の進路に「天気予報のおじさん」が入っていたくらいの天気予報キチガイで、子供の頃から、朝夕の天気予報は見逃せない、小学生の頃からラジオを聞きながら天気図を書いていた、という感じでした。ですから、今でも天気の変化に心がわくわくしてきます。そこで、今月は天気のお話を一つ。
この冬、ニュージャージーでは、冷え込みがきびしく、その上、なぜか週末になると雪が降ることが多く、12月7日、14日、そして、1月18日と3度も日曜日の礼拝に影響が出ました。特に、最近の1月18日は、天気予報では、3-5センチくらい、午後には雨に変わる、つまり、たいした雪ではない、と言っていたのに、実際は私達の礼拝が始まる午後1時前後が一番激しく雪が降って、場所によっては15センチくらいまで積もったようです。
この雪、雲から降り始めて、地面に届くまでにどれくらいの時間がかかるかご存じですか?温度や風やいろいろな条件によって変わるのですが、大体1時間くらいかかるそうです。だから、今ここで降っている雪は、もともと1時間前に雲の中から降り出した雪だということです。ちょっと不思議な感じがしませんか。
天気予報の技術はものすごい勢いで進歩しています。それはまたコンピューターの進歩にも助けられてきました。それでも、少し前に聞いた話ではありますが、膨大なデータを集めて、正確な予報をしようとすると、コンピューターで計算するより先に、予報している時間の方が先に来てしまうそうです。つまり、3日後の正確な予報をするためにコンピューターが計算をするのに3日以上かかってしまうというわけです。そこで、データを減らして、処理をしていくのです。それもいくつかのソフトウェアによって結果が違ってきて、そのどれを選ぶかは最終的には予報官の経験と勘に頼るしかないようです。それくらい、天気には複雑な要素が働いていて、起こるものなのです。ですから、たとえば、その日曜日の午後、雪が雨になる、と予報していて、それが見事にはずれて、雪が激しく降り続いても誰も責めることはできないのです。天気予報が大きくはずれると気象庁に苦情が殺到するそうですが、かわいそうな話で、もともと本当のところ、そんな天気予報なんかに大きな期待をしてはいけないのです。人間が「気象庁なんだから天気が予報できてあたりまえ」なんて考えるのは傲慢の極みと言えるのではないでしょうか。
天気を見ていると、人間がどんなにコンピューターを進化させて、いろいろ研究しても、この地球に起こっていることのほんの一部を見ているだけだということを思わされます。私達は大きな大きな神様の御手の中に生かされているのです。自分の人生の予測だってそうです。いろいろ手を尽くして、予想をしっかり立てて、自分の思い通りに人生を送ろうと思います。でも、最終的には、自分の力の及ばない部分がどれほどあるだろうか、予想のできない出来事がどれほどあるだろうかと思います。私達は神の大きな御手の中に生かされているのです。
「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」
(箴言19章21節)
大きな大きな神様の御手の中に生かされていることを感謝して、広い視野をもって歩んでいこうではありませんか。
(かきごおり:錦織 学)
月報2004年2月号より
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