「何を土台に・・・」



「こんな時代だからこそ、このようなメッセージがもっと必要だと思う・・・、教会は、こういう聖書のメッセージを、もっと、かみ砕いて、今行き先を見失っている若い人や中年の人やお年寄りや、すべての世代に伝えてほしい・・・。怪しげな新興宗教に、求めている純粋な人たちが捕われてしまわないように・・・」

ある集会でお話をした後に、一人の方が言われた言葉が深く心に留まりました。1月8日付の「朝日新聞」は、日本では「宗教や信仰に興味のない」と答えた方が77%で、「宗教は現代人の不安の受け皿になっていない」と報じていましたが、「宗教」一般はさておいて、「キリスト教会」がその「現代人の不安」に対して持っているメッセージ、イエスが私達に与えてくださったメッセージがその不安な心に届いていないとするならば、それは何と残念なことでしょうか?

「オウム真理教」「エホバの証人」「統一教会」・・・次々と新興宗教が社会問題を起こしていく中で、教会は、「宗教はコワイ・・・」という声に、「私達はああゆう『怪しげな』のではなく、『正統派』のちゃんとした教会です・・・」と繰り返すだけで、じゃあ、自分たちはどんなメッセージを持っているか、私達が、託されたメッセージはこれなんです、これを知って頂きたいのです、これを伝える使命を持っているのですと、堂々と伝えてきただろうか、いや、他の教会はいい、他のクリスチャンはいい、私自身はどうだったか、私自身は何をしてきただろうか、ちゃんと語ってきただろうか、と思わされます。

日本経済はいつかの繁栄はどこに行ったかという状況になり、大きな地震が今まで「安全」だと思われていた地を震わせ、新興宗教がテロ事件を起こし、WTCが攻撃され、崩壊し、多くの方々が犠牲になり、傷つき、今度は、テロ再発や核攻撃、化学・生物兵器攻撃を恐れの中で、新しい戦争が始まるかもしれない、というこの不安な時代(もしかしたら、このニュースレターが皆さんの手許に届く頃には何か新しい動きが起こっているかもしれません)に、「何を信じたらいいのだ?」という時代に、「どんなに時代が移り変わっても、変わらない確かなものがある」「これを頼りにすれば、どんな厳しい状況の中でも歩んでいける」というメッセージを本気で語ってきただろうか?そして、そのように自分自身生きてきただろうか?と。

イエスのたとえ話にこういうのがあります。二人の人がいた。それぞれに家を建てることにした。一人は岩の上に土台を造り家を建てた。しかし、もう一人は砂の上に家を建てた。外見は大差なかった。平常時は何の違いもなかった。でも、嵐がやってきたときに、その家の価値がわかった。岩の上に建てた家はびくともしなかったが、砂の上に建てた家はひとたまりもなかった・・・。

嵐がやってきています。嵐の中では見てくれの華やかさは無益です。岩を土台として、時代が変わっても変わることのないものを土台として歩んでいきましょう。

(かきごおり:錦織 学)

月報2003年2月号より