『よどんだ海もきよくなる』



新年あけましておめでとうございます。
新しい年もよろしくお願いします。

「その水が、よどんだ海にはいると、それは清くなる。」
(エゼキエル書47章8節)

この言葉は、12月の初めのある日、何の気なしに聖書を読んでいたときに、わたしの目に飛び込んできて、わたしの心を捕えてしまった言葉です。「その水」とは、聖霊様、聖霊なる神様のことです。聖霊様がわたしたちの内に入って下さるときに、それが、個人の心の問題であれ、人生の試練の問題であれ、家庭であれ、教会であれ、職場であれ、「よどんだ海」のような存在が、きよめられる、というのです。ちょうど、わたしの心の中に、いろいろな思いが渦巻いているときでした。平安を必要としている時でした。この言葉に出会ったときに、「これだ!」と思わされたのです。

わたしたちは、「よどみ」があるときに、その原因を突き止め、それを取り除き、何とか解決しようとします。しかし、神様の方法は、そこに聖霊を注ぎ、それによってきよめてしまうという方法なのです。汚れた池があったとすると、わたしたちの方法は、その池の底をさらって、ヘドロを取リ除いて、きれいにする、という方法ですが、神の方法は、そこに水をひいてきて、流れがいつもあるようにして、それによってきれいにする、という方法なのです。それから、私自身、自分の問題にこだわるよりも、いつもいつも聖霊様がわたしのうちに働き、わたしのうちに注がれて、わたしを生かしていくこと、それを求めるようになりました。

わたしは、特に、ニュージャージー日本語キリスト教会の牧師として、教会にこの聖書の言葉を当てはめて受け止めました。今、神様がわたしたちの教会に求めておられるのは、問題を明らかにして、それを解決していこうというのではなく、聖霊様を求めていくことなんだ、人間の知恵を超えた、小賢しい考えを超えた神の力をいただいて、歩んでいくことなんだと思わされています。

教会は、人々に仕え、社会に仕えていく存在でありたいと思います。でも、そのためには、教会自体が、満たされて、喜びにあふれさせられていないと枯れてしまうと思います。わたしたちは弱い存在です。いつもいつも命の源である神につながっていないと枯渇してしまいます。新しい年、牧師として、教会の内外の皆さんにアピールしていきたいのは、この「神に求めて、満たして頂いて、その力で出て行こう」ということです。共に求めていきましょう。「神よ、わたしの心を満たしてください。そして、そのあふれた力で人と接していくことができるようにしてください」と。


(かきごおり:錦織 学)

月報2005年1月号より