「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」
(エゼキエル書37 章3 節)

新年あけましておめでとうございます。

冒頭の言葉は2004 年のために祈りをささげている中で、心に与えられた聖書の言葉です。

少し背景の説明が必要でしょう。この言葉を書き残したエゼキエルは、ユダヤの国が紀元前6 世紀に新バビロニア帝国によって滅ぼされ、多くの人々がバビロンに捕囚に連れて行かれた時に活動した預言者でした。ある時、彼は幻を見せられました。それは谷の中にたくさんの骨が満ちている幻でした。それらの骨は皆ひからびていたのです。その時に、神からエゼキエルに問いかけられたのが、最初に掲げた言葉です。「これらの骨は、生き返ることができるのか」これは象徴的に当時のユダヤ人の社会的な状態、またその精神的な状態を表わしていました。大きな国難に見舞われ、心にも希望を失い、「枯れ切った」状態だったユダヤの人々を見て、エゼキエルも「ああ、もうだめだ」と思わないではいられなかったでしょう。しかし、そんな彼に神はチャレンジを与えたのです。「わたしの力をもってすれば、この枯れた骨のような人々も生き返ることができる」・・・そして、神は幻の中で、神の言葉によって骨に肉を与え、神の息によって生きたものとされたのです。

この言葉が2004 年のために私自身の心に与えられたことに、神からのチャレンジをいただいたような気がします。教会が絶望の淵にいる人々、希望を失ってしまった人々、燃え尽きてしまった人々、「もうダメだ」と思っておられる方々に力を与え、希望を与えるような存在になるように、いや、そのような力と希望を与える神を指し示していく、そのような存在になるように、私自身が、教会自身が信仰を持って歩んでいくことを求められているように思うのです。

今回掲載したロリーさんの歩みも、そのような歩みです。「もうダメだ」と思うようなところで、彼女は神に出会い、キリストに出会い、アシュリーと共に希望を持って歩み始めたのでした。

新しい年、皆さんと共に歩んでいきたいと思います。「何だか、教会に行くと、希望が出てくる、元気が出てくる、もうダメだ、と思っていたのに、ダメじゃない、と思えるようになってきた」と言って頂けるように、祈りつつ歩んでいきたいと思います。

今年もよろしくお願い致します。
(かきごおり:錦織 学)

月報2004年1月号より


バックナンバー