「どんぐり」
 
ある日のことです。子供と連れ立って散歩から帰る途中、横断歩道を渡っている時に子供の手からどんぐりが落ちました。
 
「落っちゃった。」 

2歳になったばかりの子供はたどたどしい発音ながら「どんぐりが落ちたから、拾ってちょうだい」という気持ちを一語に込めて訴えます。
 
渡りかけた歩道を戻り、どんぐりを拾おうとかがみましたが、もう一人いる子供を胸に抱きかかえながらでは上手くいきません。いったんつかんだのも束の間、どんぐりは私の手のからも転がり落ち、道路へ戻って行きました。
 
そのうち歩行者用の信号は点滅しはじめ、「早く渡りなさい」とせかします。どんぐりは目の前です。でも、拾っている余裕はありません。
 
「行くわよ。」

子供の手を引いて歩道を渡り切ろうとしました。しかし、子供はどんぐりを諦めきれず、歩道の真ん中に座り込んで泣き始めました。
 「車に轢かれちゃうよ。危ないよ。」
 
帰宅ラッシュが始まろうとしている夕方、道路は車でいっぱいです。信号を気にしながら歩道にかがんで言い聞かせてみたものの、子供はいっこうに泣き止みません。
 
「ほら、ここにもあるよ。こんなにたくさんあるよ。」
 
ポケットの中から、先ほど一緒に拾った他のどんぐりを見せましたが、子供は「道路に落ちた、あのどんぐりがいい」と言わんばかりに泣きじゃくります。
 
でも、信号は待ってくれません。帰路を急ぐ車の列は今にも動き出しそうです。もう時間切れです。子供に付き合っている暇はありません。
 
仕方なく、泣き叫ぶ子供を無理やり小脇に抱え、歩道を渡り終えました。信号がパッと変わって車の波が押し寄せ、どんぐりは彼方に消えていきました。
 
気付くと、「これで安全」と安堵した私の腕の中で、子供は目からポロポロ涙を流して泣いていました。そして、歩道の方を指差しては「どんぐり、どんぐり」と繰り返します。
 
思えば、道路に落ちたあのどんぐりは特別などんぐりでした。たくさん拾った中から子供が選び、お気に入りの童謡「どんぐりころころ」を唄いながら、坂道を転がして遊んだどんぐりです。何度も何度も転がしては追いかけ、拾っては転がし、飽きずに時間を過ごしたどんぐりです。
 
その夜、結局どんぐりを拾いに戻らなかったことを思い、私の胸は痛みました。大人の目には他と同じに見えたどんぐりが、子供にとってはかけがえのない1個だったのでしょう。楽しい時間を共にした友達みたいな存在だったのかもしれません。
 
その時、思い出しました。聖書は語ってくれています。私たち一人一人は特別で、高価で尊い存在だと。そして、天の御国に入るには、子供のようにならなければいけないと。自分がどんなに弱く小さく思える時でも、神様はそれを認めて優しく見守ってくれています。そして、それを感じるには子供のような純真で素直な心が必要なのです。
 
子供とどんぐりが教えてくれました。

月報2001年11月号より


もどる