|
「絶叫ジェットコースター」
|
先日、独立記念日の休日を利用してオハイオ州まで車で行って来ました。世界一高く、速い(時速約145?)というジェットコースターに乗るのが目的でした。高さ90メートルの高さから角度80度で一直線に下を向いて落ちていく姿を想像してみてください。僕は歯をくい縛りながら何秒も浮いている体に、あまりにも長すぎる戦慄を覚えていました。お好きな方は時間をかけて行ってみる価値があると保証します。ところで、この乗り物、よくあるジェットコースターと違って、高さ90メートルの乗り物なのに、その遊園地のどこからもあまり良く全容を見る事が出来ないように配置されていました。特に並んでいる列からは、終わりの部分がちょっとだけ見える程度なのです。だから戻って来た人々の大きく異様な歓声と顔色だけで好奇心はどんどんつのっていくのです。実際乗ってみるまで本当のところが分からない。我々の経験で視覚に頼っていることって結構多いですね。 |
さて、夏も終わりですが、こんな恐い話もお聞かせしましょう。もっと涼しい気分になれるかもしれません。何年も前に見たテレビ番組の話です。 |
ある新聞記者が「死刑囚達の最後」を記事にしていました。最後の日が近づくにつれ、どんどん様子が変わって行く彼らを興味深く調べていました。最後まで「えん罪」を訴える者も何人も見たのです。しばらくすると彼は、もっと彼らの心の推移を深く知りたいと願うようになりました。そこで編集長の所に行き、自分を刑務所に入れて欲しいと願うのです。しかも、ただ刑務所に入っていて時間を過ごすだけでは意味が無いので、本物の死刑囚として扱ってもらえるように看守たちには知らせないでくれと頼み、聞き入れられるのです。編集長は友人であった刑務所長に依頼し、この3人のみ知る「普通の新聞記者が本物の死刑囚として扱われる」という出来事が起こり始めます。初めのうちは何でもなかったのです。どのように扱われても「どうせ俺は無実なんだから---」と平気でいたのです。その間に彼は少しずつ死刑囚の実態を知っていくのでした。実に素晴しい記事が出来るとほとんど有頂天でした。そして、ほぼ自分自身で満足のいく原稿が出来たところで看守に「なぁ、所長に云ってくれよ。俺の用事は済んだから、ここからもう出たい」と声をかけるのです。ところが看守は一言「みんなそういうんだよ。そろそろ心の準備をしろよ」と答えるのでした。どの看守に云っても分かってもらえないのです。記者は「まさか忘れられているんじゃないだろうな。あれからまだ数ヵ月しか経っていないじゃないか。そんなことはあるわけない」と思いつつも不安になる心を抑えることが出来ず熱心に看守に訴えるのです。しかし、相変わらず彼らは冷たく拒否するのです。 |
日にちは進みついに死刑執行の日まで---。この場に及んでは彼は泣き叫び大声で自分の無実を訴えます。まさにいつか自分が取材した囚人のごとく---。電気イスに座らされ、仮面をされ、もう最後---、というところでドアが開き所長と編集長が入ってきます。そしてこういうのです。「どうだ、良い記事が書けそうかい?」と。画面は執行人に仮面をはずしてもらった、すでに恐怖で発狂し死んでしまっている彼の顔を映して終わるのです。 |
聖書の中にラザロという男性が出てきます。彼はイエス様の親しい友人だったようです。彼の死に際してイエス様は涙を流されたと書かれています。罪の結果、死ぬ体になってしまった人間が死に、そのために悲しむ人々を見て感心を動かされ涙されたのです。イエス様は死がどんなものであるかよくよく知っておられました。それだからご自分の死の直前にも、その迫り来る恐怖から血の汗を流して悶え苦しまれました。また同時にイエス様は私たちをそのような苦しみ恐怖から救うことを考えていてくださいました。そして御自身を我々の身代わりに十字架にかかってくださったのです。死んだ経験のある方は、この月報を読んではおられないと思います。ましてや甦った経験のある方はおられないと確信します。イエス様は、そのどちらもよく御存知です。ですから私達の人生について本気で関わっていてくださいます。ここに愛があるのですね。本当に感謝なことです。絶叫ジェットコースターからここまで考えてみました。 |
|
|