|
「記念日」
|
また、今年も記念日を迎えた。11回目の。結婚記念日でもなく、子どもの誕生日でもない。この地に一人で渡ったあの日から。この日を迎えるたび、日毎遠くなる記憶を辿りながら、あの頃の状況にぽつぽつと思いを巡らせてみる。だれが私をここに呼んだのだろうか。あの時、数ヶ月ぶりに見たNYは夏の盛りであった。空港からタクシーを走らせマンハッタンの宿へ向う道中、眺めた景色はとても懐かしく、不況といわれているのが嘘のように活気があふれていた。 |
その前年、研修のため、私は数人の同僚と共にNYに来ていた。にぎやかに最初の数日を観光で過ごした後、彼らは米国各地へ散って行ったが、一人ここに残されても、それほど不安を感じることもなく、私は与えられた日々を精一杯楽しんでいた。次第にこちらでの仕事を覚え、新しい友人ができ、土地勘もつき、自分の心が一番盛り上りを感じている頃に文字どおり、後ろ髪を引かれる思いで終了日を迎えることになった。 |
時は枯れ葉が舞う頃だった。多いに予想はしていたものの、帰国後の葛藤は、11年経った今も思い出したくないほど苦しいもので、親兄弟や気心のしれた人々の中に戻っても、心晴れない日々を過ごしていた。つらつら考えるにNYにやって来たこと自体、私にとって奇跡的な経験であった。それまで、中国関連業務に携わっていたため、研修が決まった時も、行き先は北京か香港かと考えていた。 |
人の心には多くの計画があるが主の計画だけが成る。
(箴言19章21節)
|
予想もしていなかったNYに見えない手で導かれていたのだがその時は知る由もない。あの頃は端からみると独身で優雅なOL生活を謳歌していたようなものだが、親元で好き勝手に暮らし、今でいうパラサイトのはしりだったと自認している。それでも心は満たされていなかった。衣食住が満たされていても友人が多くいてもどこかが乾いていた。人に囲まれていても孤独だったような気がする。心を潤してくれるものを探して、手当たり次第にSupernatural なものを試したりもした。当時はやっていた、New Age 系の本に没頭したりヨガに通ったり、不思議と同世代の女性たちが皆そういうものを求めており、その手の話では皆でよく盛り上がり、一緒にヨガ道場などへ行ったりしていたことを覚えている。これも親の世代には贅沢病と見えるらしいが、自分も含め、物質的には満たされていても心の渇きを覚えている人が多かったようだ。 |
その後直ぐ、一世一代の決断をし、退社をしてこちらへ渡ったため、結構楽しみながら通っていたヨガへの追求はそこまでになってしまった。が、グルが出発に際し、本当に困った時にだけ使うようにと渡してくれたサンスクリット語の呪文半紙をスーツケースの底に忍ばせていた。 |
新しい生活が始まった。そして11年が経った。もう11年なのか、まだ11年なのか、後どのくらいここにいるのかもわからない。その間得たものと失ったものをリストにしてみた。幸い、得たもののほうが多いようだ。受洗し、結婚、そして子どもを産み、仕事を続けられているのも、そういったサポート環境が整っているからだろう。昨今は自分の時間がないと愚痴が多く出る程、孤独感を感じる暇もないが、何といっても一番のギフトはどこにいても主が常に共にいてくださるという安心感である。過去に失ったものにはほとんど未練はないが、進むべき道を迷う時に、あの時こうしていたらという思いが頭を掠めることもある。栓無き、回顧癖だ。 |
先日のゲストスピーカーの先生が、アブラハムや内村鑑三のように異文化に身を置くほうが神に導かれる機会が多いとおっしゃていた。私も日本にいたら多分このように創造主の神に出会うことはなかったような気がする。 |
それにしても何年経っても、自分の思いで迷いながら右往左往し、神はさぞかし信仰の薄いものよとお嘆きであろう。が、それでも導かれながら今日も生きていく。あの半紙はどうなったであろうか。多分、失ったものたちのリストに何時の間にか入ってしまったようである。 |
|
|