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「このエッセーを父に捧げます。」
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4月に、ボストン・レッドソックスの野茂英雄投手が大リーグ史上4人目のア・ナ両リーグでのノーヒットノーラン達成という大記録を打ち立てました。この試合は敵地ボルティモアで行われたにも拘わらず、記録達成を満員の観客が祝福してくれたことについて、「アメリカの野球文化を感じた」と本人がコメントしていたのが印象的でした。 |
野球文化と言えば思い出されるのが、Field of Dreamsという映画です。一人の農夫が、ある日、自分の経営するとうもろこし畑で聞いた ”If you build it, he will come” という声に突き動かされ、自分と家族の生活の支えである農場の一部を潰し、ナイター照明付の野球場を造ってしまいます。彼の周りの人間は、その愚行を止めさせようとしますが、ある日、そのフィールドに、かつて八百長の嫌疑で球界を追放となったプロ野球の名選手達がどこからともなく現れプレーを始めます。 |
ここに現れた往年の名プレイヤー達は、実際にはもう他界した人達ばかりですから、そこにいるのは癒されない彼らの魂たちということになります。こういうお話自体、聖書的ではないとお叱りを受けそうですが、肝心なのはこの後です。選手達が試合を終えて引き上げていったあと、夕暮れのフィールドにもうひとりユニフォーム姿の若者が現れます。主人公はすぐに、それが何年も前に他界した彼の父親の若い頃の姿であることに気付きます。かつて、大リーガーを夢見ながら夢破れ、そして最愛の妻を病で無くしながらも、主人公を男手一つで育て上げた父。しかし、成長するに従い父親を疎ましく思うようになった主人公。父と息子は、それ以来、和解し理解しあうことなく、父は孤独の中でその生涯を終えました。何十年か振りに再会した父に、主人公は自分が彼の息子だとは言い出せないまま、父の誘いに応じ、キャッチボールを始めます。かつて、彼が子供の頃、何十回、何百回としたであろう父とのキャッチボール。黄昏のフィールドで、父と子は、言葉を交わすことなく、お互いの胸めがけ黙々と白球を投げ込んで行きます。まるで、和解の言葉を投げ交わすように・・・。 |
私達の世代の人は、皆、多かれ少なかれ、父親とキャッチボールをした経験をお持ちなのではないでしょうか? まだ、プレーステーションもポケモンも無かった時代、遊び場は公園や空き地であり、サッカーもまだそれほど人気がなく、仲間が集まれば、始まるのはいつも野球でした。そして、週末の父とのキャッチボールは格別のものでした。父の投げる球は、子供のそれとは違い、ズシンとグラブに響きます。そして、どんなに速い球を投げても、また、ちょっとくらいへまをしても、難なくさばかれてしまいます。蝉時雨の中、夏の公園で汗だくになりながら、あるいは、心地よい秋の夕風の吹き抜ける路地で白いボールが見えなくなるまで父と子のキャッチボールは続きました。 |
思えば、いつからそんな遊びをしなくなってしまったのでしょう? そして、俗に言う不倫と言う事件を契機に、家族の元を離れて行った私の父。父の不倫によって、他人には到底想像も出来ないような苦しみを味わった母と姉は、父のことを散々憎みましたが、最近ようやく心穏やかに暮らせるようになったと言います。そして、たとえ家族の元にもう戻らなくても、別の場所で幸せに暮らして欲しいと願えるようになったと。 |
彼女達が苦しみの中にあったときノー天気な留学生活を送っていた私には、実体験が無いせいか、不思議に父に対する憎悪の念はありません。むしろ、早く悔い改めてかつての父に立ち帰って欲しいと願っています。母も姉も父を憎まないようにすることが精一杯で、このように祈ることはできない、だから、お前が祈りなさいと神に命じられているのかもしれません。自分自身が子の親となり、父と子の関係を父親の側から見つめられようになったのも、神がそのような機会を備えて下さったからなのかもしれません。 |
私達親子は二度とこの地上でキャッチボールをするということは無いでしょう。しかし、たとえこの地上において家族として共に集うことが出来なくとも、せめて天の御国において父に再会できればと祈らずにはいられません。 |
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
(使徒の働き 16章31節)
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