「神様はどんな方」
 
聖日礼拝のメッセージは福音書を1章から読む形で進めてきた昨年までと異なり、今年からは各月毎にテーマを決めて、錦織牧師が取次いで下さっています。例えば7月のテーマは「神様はどんな方」を主題に「天地を創造された方」から始まって聖書を通して素晴らしい解き明かしが毎週なされます。戴いたメッセージを心に留めて毎週月曜日からの日常生活をスタートさせますが、最近のある1週間、私にとって「神様はどんな方」であったかを記させて戴く事にします。
 
水曜日の朝、古い友人から突然の電話で10年ぶりの再会がかないました。彼とは仕事のお付き合いの他に同じ教会で2年ほど御一緒したので、仕事の話が終わると各々のこの10年間の信仰生活にも話が及び、お互いに全てが神様の御計画の中で過ごせている事を感謝し、これからの残された人生を神様がどのような事にどのような形で参加させて下さるかを期待し委ねて行こうという話で別れました。長い期間のブランクを越えてイエス様がお互いの間に介在して下さって、良き交わりが続けられる幸を共に感謝できた時間でした。
 
その週末は出張先の日本語教会に出席し、日本からの特別説教者によるメッセージを戴きまた。その中でかつてNJ教会の会員であった岡本兄の事が話された時、私には神様が何故この日にこの教会に導いて下さったのかが理解できました。彼が帰国されてから神学校へ入学されその直後に癌に侵された事は知っておりましたが、どのように神様の元に召されたのかは知る機会がありませんでした。彼は闘病生活の中でも真剣に聖書からの講義に耳を傾け、又周囲の人々に心の平安を全身で表しておられたそうです。彼の言葉を聞き、彼の生活を側で見ておられた御両親が、妹さんが、御親戚の方々が、「彼のように死を迎えたい。死と向かい合いたい。」という思いで次々と洗礼を受けられたという素晴らしい証、彼の最後の言葉がお見舞いに来てくれた神学校の友人を気遣う言葉だったという話をお聞きして、思わず「ハレルヤ!」と心の中で呟きが出ていました。気になっていたあの岡本兄の話がこんな機会に聞けるとは、とても不思議な思いでした。
 
たった1日しか在席してない日に旧友と会えた事、出張先の礼拝で岡本兄の話が聞けた事、人はそれを偶然と言ってすますかもしれません。しかし神様を知っている、否、神様が知っていて下さるという恵みを持たせて頂いているクリスチャンにとって、それは神様の導きであり、御計画なのだと確信出来ます。どんな時にも共に居て下さり、導いていて下さるお方である神様に日々心から感謝しています。
 
「私はあなたがたの年老いるまで変わらず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。 私は造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」

イザヤ書 46章4節

月報2000年8月号より

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