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どんな人でも、数々の大切な言葉を持っていることと思います。何気なく語られた一言や目に触れた文章が、時に大きく心を揺さぶるものです。
私も幾つかの言葉を大事にしています。
高校生の頃、従姉妹の結婚披露宴に参列する機会がありました。初めてのことで、新郎新婦の華やいだ表情やテーブルに並べられた豪勢な料理、その日のために買ってもらった洋服など、ひとつひとつが嬉しくて仕方ありません。宴が終わっても余韻が残り、気分が高揚していた時です。宴のロビーで母と弟を一緒に待っていた父が、私に向かって言いました。「お前はお嫁に行くなよ」と。
高度成長期に自動車業界で働いていた父は毎晩私たちが寝ている間に帰宅し、話をする機会は殆どありませんでした。それでいて、たまに顔を合わせればお説教ばかりでしたので、いつしか父親は疎ましい存在になっていました。ところが、この一言が全てを変えました。「父は父なりの方法で私のことを愛してくれていたんだ」と気付いた瞬間、私の中の父親像が変わりました。。
これは18歳の時のことです。「英語を身につけて、将来の道を広げたい」との思いから米国留学を決めた私を、母は自分の果たせなかった夢に重ね合わせて快く送り出してくれました。月並みですが、希望と不安を抱いてアメリカにやって来た私は、その晩、新しい生活に必要な荷物を出そうとトランクを開けました。すると、自分で詰めた覚えのない小さなアルバムが1冊入っていました。そこには、小さい頃から留学前までの写真が抜粋して入れてありました。そして、アルバムの裏表紙には、母からのメッセージがありました。
「〜もっと世話をかけてくれてもいいと思いました。〜辛くなったいつでも帰っておいで」。
アルバムは、母が荷物に忍ばせてくれたものでした。出発前夜、心が弾んで仕方ない私の陰で、母はどんな気持ちだったのでしょう。一緒に喜んでくれたのとは裏腹に、心配と寂しさで一杯だったのではないでしょうか。アルバムに書かれた言葉は母の愛そのものでした。読んでいるうちにみるみる涙が溢れ、声をひそめて泣きました。そのアルバムは留学中の私の支えとなり、辛い時や淋しい時、決まって独りアルバムを開いては、母の言葉を読み返したものです。
これは最近のことですが、主人と家で戦争で亡くなった身内の話をしていました。
私の父方の祖父はその一人です。亡くなったのが父の幼いころでしたので、父自身にも記憶がなく、話を聞いたことはありません。写真で見たこともなく、名前も知らず、どこで、どのように亡くなったかなど、知るゆえもありません。すると主人は言いました。
「そういうのって、すごく調べたいと想わない?その人が死ぬ間際まで一番気になったのは家族のことに違いないかと思うと、調べてあげなきゃいけない気がするよね」。
その言葉に私は、主人は自分の最期に家族のことを想ってくれる人なのだと実感しました。母親は子供を胎内に宿り、出産する行為を通して子供の存在を実感します。だからでしょうか、本能で子供を愛したり世話したりできるものです。しかし、父親の場合は違います。ある日いきなり子供が家族の一員に加わり、生活が一変します。自分で家族を愛するという行為は何らかの犠牲と努力を要するものでしょう。そうした代価を払って育児に参加し、家族を大切に想ってくれる主人を心から有り難く想いました。
言葉は不思議です。人を生かすことも殺すこともできる力を持っています。大切にしたいのは愛の言葉です。気持ちを優しくし、心を柔らかにできる言葉です。聖書には、そんな言葉がたくさんあります。どうぞ開いてみて下さい。大切な言葉の蓄えが増えることでしょう。
月報2002年8月号より
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