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「死ぬという大切な仕事」(三浦光世著・光文社)を読んだ。1999年10月に妻の三浦綾子さんを天に送るまでの40年間の夫婦生活で、さまざまな「死」と出会う三浦夫妻。しり込みしそうなタイトルだが、滑り出しから最後まで一気に読んでしまった。というのも、書き出しに伝わる光世さんの介護の姿勢に、いたく感動したからだ。抜き出させていただくと、
「言われてみれば夜三回も五回も起きて世話をするのは、いささかしんどいということになるかもしれない。私自身、三回はマアマア、四回五回となると少し、、、、、二回ならオンの字と人さまに述懐したこともある。しかし、六回でも七回でも、痛みを伴うわけではない。……介護される身は、介護する身よりはるかに苦しいのだ。辛いのだ。これを介護する側は肝に銘じておく必要がある。」
「介護される身のほうがはるかに苦しい」とは、確かにそう。自分が確固たる介護歴を持つわけではないので偉そうなことは言えないが、容易ならざる営みであることくらいは想像できる。三浦夫妻はまるでスーパーマンとスーパーウーマンのよう。といっても、空を飛び、怪力で、透視も出来て、超聴力の持ち主という、何でも出来るキャラクターではない。綾子さんは生前「愛は忍ぶ」と、サインする時に言葉を添えていたそうだが、まさに「忍」の愛を全うされたヒロイン。「ひとに衣服を着せてもらうなんて」という愚痴のほかは、文句もなかったほど。看護する光世さんも相当な忍耐力を必要としたろうに、その彼が脱帽するほどだとしたら、これはもう「スーパーカップル」としか思えない。しかも、パワーの源は神の愛、つまりイエス・キリストの十字架となれば、神業である。
「すごい、、、」と、つぶやく私に、「何が凄いの?」と、夫が聞いてきたので、上記の引用箇所を読んで聞かせた。すると、「夜中に君をいくら起こしても、絶対起きないだろうね。」と、言われた。地震があろうが、雷が轟こうが、嵐が吹こうが、一度寝てしまうと起きない(らしい)私。現実に引き戻される。
こんな日常に非日常を突きつけられる経験を通して、非日常が日常へとかわっていく。問題はある日ある時突然訪れる。そんな時、自分だけの忍耐に終わらず、他人を思いやる気持ちを忘れないでいられるだろうか。一生かけても出来るかどうかわからないが、そんな素晴らしいことはそうそうないので、諦めずに心に留めておきたい。
「いかに幸いなことでしょう 弱いものに思いやりのある人は。災いのふりかかるとき 主はその人を逃れさせてくださいます。」詩篇41章2節
月報2002年6月号より
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