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あれは私が10歳頃のことだったでしょうか…。私の家には止まったままの小さな柱時計がありました。そして私がもう少し幼かった頃、その時計は確かに動いていて30分ごとに時刻を知らせる音が鳴っていたことを私の耳は覚えています。 いつから止まっているのか、いつから時計の音を聞かなくなってしまったのか、はっきりしたことは思い出せなかったけれど、私はもう一度その時計の声を聞いてみたくなり、父に訊ねてみました。
「あの時計止まったままだけど壊れているの?」
父は時計を見上げ少し考えてから
「誰もネジを巻かないから動かないんじゃないかな…。」と言い、
「じゃあ私がネジを巻いてもいい ?」と聞くと
「いいよ、やってごらん」と答えてくれました。
私は時計の下に椅子を持って行き、それに乗り、ほこりっぽい時計の扉を開けてみました。
「振り子の下に鍵があるだろう…、文字盤の方に鍵穴があるからそこに入れて巻くんだよ。」と父は教えてくれました。 私は小さな鍵を文字盤の鍵穴に入れ「キリキリ」と回し出しました。 全部巻ききるまで鍵を回しました。 そして父に時間を聞き時計の時刻を合わせ振り子を指で「トン」と横に弾きました。 時計は再び時を刻みはじめました。
私の娘は、今節バスケットをやっています。彼女はトラベルチームに入っていて、他の町のチームとの試合では惨敗が続いていました。 その日も負け試合で、突然彼女は「止めたい」と言い出しました。私はその日の試合を見ていなかったので、見にいった主人に訳を聞いてみると、彼女の出番はなく、試合の後、泣き出してしまったということでした。コーチの考えが分からないわけではありません。 それが現実なのです。 しかし娘の気持ちを思うと、親としてなんと言って励ましていいのか…。 「お母さんと練習しよう…。」と娘に話しかける他ありませんでした。 その時の私はまだ、何故彼女が泣いたのか本当の理由を解っていませんでした。努力をすれば何とかなると思っていたのです。 しばらくして、その日の試合は勝ち、娘もそれなりのプレーをしました。 それなのに、彼女は又「止めたい。」と言い出したのです。 私は、娘が今まで語っていたことの中に『何か』もっと大切なことを見落としていることに気付きました。彼女の心はさびしかった(孤独だった)のです。 「コーチに認めてもらえない」、「チームに必要とされていない」と言う思い込みがすっかり彼女の自信を奪い、心と体が頑なになり、動けなくなっていました。 私は娘の練習に付き合いながら「自分のドリブルをもっと信じて。」 「自分のパスをもっと信じて」「自分のシュートをもっともっともっと信じて。」「自分のプレーにもっと自信を持って良いのよ…。」と彼女の心のネジを巻きました。
試合に行く時、「頑張って、自信を持ってプレーしなさい。」 と言う励ましに顔を上げ「うん」と首を縦に振り、コートに走って行く娘の後ろ姿に、彼女の中の自信が動き出したことを私は感じていました。
いつの間にか見捨てられ取り残されてしまったあの時計は、かくれんぼの時、一人だけ見つけてもらえなかった子供のようです。 誰かに気付いて欲しくて、誰かに必要とされたくて「私は必要ですか…。」と問いかけた時、主は答えて下さるのです。「主がお入用なのです」と。 (ルカ19章31節)
信仰という見えない魂に、絶えずみ言葉という鍵で神様によって巻かれ、少しでも主の御心に近づけるように成長させて頂きたいと思うのです。 動き出した時計を見あげ父はこう言いました。
「毎週巻いておくように…」と。
そして今日も試合があり娘に励ましの言葉を掛け送り出しました。 彼女は試合中、2度のシュートを決め18対7で勝ちました。 肩で息をして汗一杯の昂揚した顔に満面の笑みを浮かべて帰ってくる娘の姿に神様が共にいて下さり又共に喜んで下さっているのを感じ娘を守って下さったことに感謝し祈るのでした。
「求めよ、そうすれば与えられるであろう。」 (ルカ 11章9節)
月報2002年5月号より
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