「ほんまもん」


今、NHK朝のドラマで放映されていますが、内容はともかくこの「ほんまもん」という言葉、関西人にとって懐かしく好きな言葉の一つです。

「ほんまもん」の反対は「にせもの」とか「うそもの」と言いますが、昔旅館の女主人であったわたしの母に板前さんが一匹の大きな鯛を取り上げて「おかみさん、これ、ほんまもんでっせ」と見せていたのを子供のわたしが目を丸くして見ていた幼き日を思い出します。

魚にはほんまもんも、にせもんもないでしょうが、きっと新鮮な真鯛のことをおかみを喜ばせようとして誇張して言ったのかもしれません。 前置きはさておいて、私の信仰が「ほんまもん」に導かれたことは確かです。 聖書を初めて真剣に読み、イエス様の本当の姿を知った時、これこそ「ほんまもん」に違いないと思いました。 それまで家代々の信仰であった日蓮正宗にはない「ほんまもん」を聖書に見出しました。

旧約の民が悔い改めては又罪を犯す姿は、私達の弱さそのものであることも学びました。イエス様のゲッセマネの血の滲み出るような祈り、「エロイエロイ ラマサバクタニ」十字架上のこのイエスさまのうめきは、全てわたしたち罪人人間のためであったことを知った時、「ほんまもん」の重み「ほんまもん」の尊さを心に味わうことが出来ました。

話しは変わりますが、ある日、まだキリストさまをしらない人との会話でのことです。

「わたしはとても幸せで、毎日たべるために生きているのよ」と言われた時、わたしは自分の耳を疑いました。「幸いな人よ」と思いながらも、とても虚しい思いに迫られました。

世界中の人々は皆生きるために食べているのではないか。 アフガンでは多くの難民が飢えと寒さに震えているのに・ ・ ・。 わたしたちは子供の頃、戦争時代に生きていました。

食べ物も無く米が食べられない日が何日もあったことを覚えています。「贅沢は敵だ」といって辛抱したこともありました。体のための糧も必要ですが、私たちを本当に満たしてくれるのは「ほんまもんの食べ物」ではないでしょうか。 それは「聖書のみ言葉」だと思います。

なぜなら、み言葉は体を支えるばかりでなく、心を喜びで満たしてくれるからです。

イエスさまに従って歩む生き方こそ「ほんまもん」の人生だと信じています。

シモン・ペテロは答えて言った「あなたこそ生ける神の子キリストです」マタイ16:16。

月報2002年3月号より


もどる