|
先日、ボルティモアに住む親戚から電話があった。彼女の旦那がNYで研修することになったので、赤ちゃん(7ヶ月)を連れて遊びに来たいとのこと。いまどき赤ん坊と一緒に住むなんて、めったにないチャンス。抱っこさせてもらったり、一緒に遊ぶ機会はあっても、寝食を共にするなんてことは、そうそうあることではない。抜けられない用事を伝え、「おかまいっこなしよ」協定を結び、お迎えすることにした。
往路は母(ふーみん)と子(けいちゃん)の二人でアムトラックに乗って来る。到着場所はペンシルバニア・ステーション。フォート・リーに住む私は、ポート・オーソリティならともかく、ペン・ステーション事情に明るくない。広い駅構内のどこで落ち合えばよいやら、近所の友人に聞いても埒があかない。地図を見ても、さっぱり。下見に行けば一番いいけれど、横着な私は何とかそれだけは避けたい。そういえば!と、ロング・アイランドに住む兄に電話をして、待ち合わせのしやすい場所を教えてもらった。椅子があって、電話にも近くて、見渡しの良い場所。本当にそんなところ、あるのだろうか?期待と不安を胸に、ロング・アイランド・レイルウェイのWaiting Loungeへ急いだ。雑踏の中から、私を呼ぶ声がしたと思ったら、ふーみんの満面の笑顔が目に飛び込んできた。人と待ち合わせをするときは、いつもそう。会うまでの緊張感と、会えた時の嬉しさはたまらない。まして、慣れない土地での再会となると、喜びもひときわ。
ふーみんのいでたちといえば、トップは柔らかいベージュ色の皮ジャケット、ボトムは黒のパンツ。すらっとした体型で、とてもママには見えない。ふーみんママは、カッコイイ。肩にかかる真っ赤な抱っこ紐は、こちらでは見かけない、シンプルではあるけれど機能的な作り。座りもせず、手荷物を床に置きもせず、けいちゃんを抱えて私を待つ立ち姿は、何ともりりしい。遠慮がちにゆっくり歩く私を追い越さんばかり、ハーフブーツの靴底をコツコツならして颯爽と歩く姿をみて、こういう人がスチュワーデスになるのねえと、勝手な想像をふくらませてしまった。(彼女の勤める航空会社は女性に優しい。3年間休暇(産休&育休?)後に職場復帰が出来るという。)何より嬉しかったのは、当たり前のように思っていることにいちいち感動してくれること。「今日の夕食は、サンマの塩焼き」と言って、大喜びされると、家事下手の私にとってこれほどありがたいことはない。日本の食材が手に入りにくい地域に住み、はじめての海外生活、子育て、結婚生活。苦ともせずに前向きに生きるその明るさは、気持ちがいい。
そんなママを持つけいちゃんといえば、足をちょっとくねらせて、あたりをきょろきょろ。むずがったり、笑ったり、大きな声を出したり、じっとみつめたり。ついつい、行動のひとつひとつに釘付けになる。もう、目が離せないのだ。私はこれを、「けいちゃん(赤ちゃん)磁石」と呼ぶ。実際、けいちゃんと歩いていると、ひっきりなしに声をかけられた。「何箇月?」「7ヶ月です」「かわいい男の子ねえ。お名前は?」「佳子っていいます。女の子です。よく間違えられるんですよ」「女の子に?」「いえ、男の子に、、、女の子なんですよー」「あなたのベイビーよね?」「いえ、彼女がママです。見えませんよねー」という内容の会話を、繰り返す。「うーん、有名人はつらいなー。「男はつらいよ」でなくって「女はつらいよー子育て奮闘記」なんて、どうかしら?」などと、心に浮かぶ。
こんな程度のことで「つらい」なんていう言葉を使う、何とも次元の低い私。岩田隆子さんのゴスペルコンサートに出かけた時のことである。けいちゃんがぐっすり眠ってくれたおかげで、力強くも、全てを包み込むような温かい岩田さんの歌声に、しばし酔いしれた。ベビーシッターのありがたさを、こんなに身近に感じたこともなかった。「こんな顔をしていても、悩みはあります」と、オペラ歌手として脚光を浴びる彼女の笑顔の奥に隠された断片を、垣間見た。乗越えてきた苦難の数だけ、神様の恵みがそれ以上に増し加えられていることが伝わり、生きる喜びに胸が熱くなった。「豊かな人生の条件」という私の好きなメロディーが、全く違う曲に聞こえたのは、どうしてだろう。涙が流れて止まらなかった。
けいちゃんたちが去った後、「心の叫び」という子育てを題材にしたテレビ番組をみる機会があった。子供を何度もぶってしまったある母親が、自責の念からインターネットにそのことを打ち明けた。「私も、手を出そうとしたことがあった。手を持ち挙げた瞬間、子供のおびえた目が見えた。その時、「この子もつらいんだ」と、わかって、ぶつのをやめた。ごめんねと、あやまることができた。」という返答。私も、けいちゃんの気持ちになってみようと、思った。もし、「泣く」ことでしか表現できないとしたら。泣かれるほうもつらい。でも、泣くほうがもっとつらいのだ。そう思えたら、どんなに目が開かれることだろう。つらいときに限らず、嬉しいときや楽しいときだって同じである。
けいちゃん一家が、我家に心地よい風を運んでくれた。神様がこの滞在を守り、祝福してくださったことを心から感謝したい。
月報2003年2月号より
|